SEMINAR

7月22日(水)「スカルノ国際共同研究発会式」Opening ceremony of 'The International Soekarno Study'を行いました。

日時:7月22日(水)13:00~16:00
場所:世田谷キャンパス34号館B301教室
講演者:プティ・グントゥール・スカルノ氏(インドネシア国会議員、スカルノ初代大統領 御令孫)

Date:July 22, 2015, WED 13:00~16:00
Venue:Setagaya Campus, 34th Building, B301 Classroom
Lecture by:Mrs.Puti Guntur Soekarno (Member of MPR, Granddaughter of President Soekarno)


コーディネーター 柴田 德文(政経学部)
Coordinator Tokubumi Shibata (Faculty of Political Science and Economics)


インドネシア共和国独立の父であるスカルノ大統領(1901~1967)の功績とそれらの意義を広く公表することを目的とした国際共同研究を、スカルノ家と当センターが中心となり進めることとなった。
7月22日、プティ・グントゥール・スカルノ氏およびスカルノ家の皆さまと内外関係者・研究者を本学に招き、国際共同研究発会式が執り行われた。式は以下のように行われた。

(1)河先俊子副センター長による開会の辞、
(2)来賓の紹介、
(3) 当センター客員研究員であるプティ・グントゥール・スカルノ議員の委嘱辞令の交付、
(4)柴田德文センター長による本研究会の研究趣旨説明、
(5)三浦信行学長の挨拶、
(6)来賓挨拶、
越智隆雄衆議院議員代理米山淳子氏
在日本インドネシア共和国大使館M.イクバルジャワド教育アタッシェ
(7)記念品贈呈、
(8)戸津正勝客員研究員による、スカルノ大統領の功績の紹介、
(9)スカルノ大統領紹介映像上映、
(10)プティ議員講演 「インドネシア統一への希望の星『パンチャシラ(建国5原則)』」、
(11) グントゥール・スカルノ氏(プティ議員父君、スカルノ大統領ご長男)のコメント。

以下は講演等の概要。

◇研究趣旨説明(柴田德文センター長):インドネシアは数百に及ぶ民族を抱え、これまで分裂の危険性を孕みながら「多様性の中での統一」が成し遂げられてきた。このようなインドネシアの経験が世界規模の融和の力になり得ること、さらに、インドネシアを独立・統一へと導いたスカルノ大統領の偉業については十分に研究され尽くされたとは言えないので本研究を世界に公表する意義が大きいことを説いた。

◇スカルノ大統領の功績の紹介(戸津正勝研究員):オランダ領時代後期から独立に至るまでのインドネシアと我が国との関係に焦点を当てて、スカルノ大統領の功績についての解説がなされた。戸津研究員は、スカルノが第三世界の軸を作った人物であること、また、インドネシアのみならず世界の英雄であることを再認識する必要性を説き、本研究プロジェクトの意義を改めて確認した。


◇講演「インドネシア統一への希望の星『パンチャシラ(建国5原則)』」(プティ・グントゥール・スカルノ氏)

(要旨) 
国士舘大学日本・アジア研究センター所長の柴田徳文教授からの招待状の中に「数千の島々と数多くの民族を現在に至るまで統一させることができたスカルノの思想とは何か?」という私への質問がありました。
 このような根本的な質問に対する回答を私のスピーチに代えさせて頂きます。ブン・カルノ(スカルノ大統領を敬愛して呼ぶ呼び方)の孫としてまた、インドネシアの国会議員の一人として誠実に、率直に私の考えを述べたいと思います。しかし、この問題は世界中の多くの国が抱える解決困難な政治的大問題であり、学者ではない私には説明する事がかなり難しい課題でもあります。
 ブン・カルノは、大東亜戦争が帝国主義の輪を切断させる戦いであり、後にインドネシアに独立を導くであろうと既に予測していました。「30年代半ば、日本は東南アジアでイギリスとアメリカに対して戦争を行い、それをきっかけにインドネシアは独立への道を歩むようになるであろう。それ以降、いつアジア戦争が勃発するか、どれぐらい戦争が続くかを私は予測し、そして日本帝国主義はインドネシアに向ってくるであろう。」
 イ・日関係は大東亜戦争の拡大に伴って、「戦術的な」関係から始まりました。しかし、第二次世界大戦後は、インドネシアの独立によって両国は国際舞台では平等な「戦略的」関係を形成するように変ってまいりました。
 インドネシアの歴史は長く苦しい道のりでした。私たちの歴史は数千年前から始まっております。
 インドネシアは古代から既に国際的な舞台に登場していました。インドの神話であるラマヤナの中に記された肥沃な農業地域と金鉱山の豊富な領域としてのJabadiuk(ジャワ・ドィパ)とSwarna Dwipa(スワルナ・ドィパ)がインドネシアです。東ジャワのマジャパヒット王国の領域は東南アジア周辺から、アフリカのマダガスカルまで及んでいたと考えていました。
 マジャパヒット期においてインドネシアには仏教・ヒンドゥー教が平和的に各地に入っ来ました。ヒンドゥーの力もまた平和な方法でインドネシアに入ってきて、マジャパヒト王国は最盛期を迎えます。これが現代のインドネシアの基礎文化となっています。その時代の王国の献身によってジャワは統一されました。
 1601年にオランダ東インド会社がインドネシアに到来したことによりインドネシアの領域は長い間オランダ帝国主義の支配下で不幸な運命を歩みました。1920年代から民族運動が激化し始めました。青年ブン・カルノはチョクロアミノト、タンマラカ、ハッタ、チプト・マングンクスモ、スティヤ・ブディ、キ・ハジャル・デワントロのような民族主義者と共にインドネシアの独立に向けての運動を指導するようになります。
 インドネシアは世界最大の群島国家であり民族の数も500を軽く超える世界最大の多民族国家です。ブン・カルノはどのようにして、このような多民族を一つの国民に統一したのでしょうか?私たちは、「ナショナリズム、イスラム主義、マルクス主義」という1926年の記事を通して建国の父であるスカルノの国家統一のコンセプトとその理由を探ってみようと思います。
 ブン・カルノによれば、「民族主義者はイスラム主義者とマルクス主義者と共に協力し合える... それは民族主義者をイスラム主義者やマルクス主義者に変え、あるいはイスラム主義者とマルクス主義者を民族主義者に変えたいという意味でない。一方私たちの希望はその3グループの間に調和を図り、統一できることである。」
 ブン・カルノは、1942年〜1945年の日本軍政下において、民衆総力結集運動(プートラ)を通して独立を目指し、国民を指導をしました。ナショナリズムと民主主義の国家統一ではスカルノはマルハエニズムという社会ナショナリズムと社会民主主義のイデオロギーを作り上げました。
 ブン・カルノにとって、マルハエニズムはインドネシア国民の運動に最適な原則闘争の理論です。平等と社会福祉を実現するためにマルハエン主義者を人間による人間の搾取から守るためです。
国家に対してスカルノはどのような考え方を持っていたか? ここでは私たちはパンチャシラについて述べる必要があります。1945年6月1日に日本軍政下で行われた独立準備調査会(BPUPKI)の会議で、「インドネシア独立の基礎は何か?」との議長の質問に対して、スカルノは「パンチャシラ」と答えました。
 インドネシア国民は敵に向って戦い、1945年8月17日に独立宣言を発布しました。しかし、イギリス・オランダ連合軍の視点からはプートラは日本の人形に過ぎないと見なされました。しかしインドネシアの独立戦争は、国民の苦しみの結果だったのです。
 インドネシアの独立が実現できたのはパンチャシラのおかげです。それは独立インドネシア国の哲学基礎として二つの局面をもっています。その一つ目は「国家基礎」、そしてその二つ目はどの方向にインドネシアの独立が向かっているのかという「希望の星」です。
 国家の基礎としてのパンチャシラを変更することは許されません。しかし、希望の星として公平や豊かな社会を向けたインドネシア国民を誘導するためにパンチャシラは伝統、社会、国家と国家の統治のような政治的、社会的、経済的、防衛·安全保障、文化の面などの人生のありとあらゆる段階で、存在している文化のシステムとして時代に合わせて変容させるべきです。
 インドネシア共和国1945年憲法の前文に記載されたパンチャシラはインドネシアの先史時代からヒンドゥー・仏教、イスラム、そして西洋帝国主義及び日本軍政の時代にかけての歴史から生まれたものです。
 パンチャシラにはインドネシア国民にとっての必要不可欠な存在、且つ普遍的な生活基盤が含まれています。それは、唯一の神に対する信仰、人間同士に対する思いやり、仲良く生活すること(団結)などです。それらの価値はインドネシアにおけるゴトン・ロヨン(相互協力)を基盤として誕生しました。
 日本軍政下にあった1945年6月1日に開催された独立準備調査会の会議でブン・カルノはゴトン・ロヨンをインドネシア国家の基礎であるパンチャシラとして策定しました。その内容は、民族主義(ナショナリズム)、人道(国際主義)、審議と合意(民主主義)、社会正義(社会主義)そして文化に基づく神への信仰です。ブン・カルノはこのパンチャシラを民族主義、国民主義、社会民主主義と神への信仰という3つ(Trisila)に絞り、そしてこれをゴトン・ロヨンのEka silaとしました。
 「パンチャシラに反映されている文明の歴史を理解するための効果的な方法はあるのか?」という質問に対して、スバンディオ・サストロサトモは「インドネシアはスカルノであり、スカルノはインドネシアのである」と答えました。
 政治の面でパンチャシラを希望の星とするために、国策大綱(GBHN)として実施されました。1945年8月革命(独立宣言)とインドネシア共和国1945年憲法で義務づけられた、インドネシア国民の物質的および精神的な福祉を目的とする国家開発が徐々に具体化していきました。
 しかし、2000年以降の1945年憲法改正では、最高国家機関や国策大網もインドネシア共和国の国家システムには採用されなくなりました。その結果、パンチャシラを「解釈」する機関が現在存在していません。
 1945年憲法の改正後における現代のパンチャシラは国家の基礎となる原理としてのみ認められているだけです。社会、国家、および統治の面での手順とそのプロセスについて建国者たちが考えたパンチャシラの具体策を決定する機関がありません。
 スハルト体制後においてインドネシアは自由主義の道を歩んできました。経済分野では自由市場経済システムが進展しています。このことで1945年憲法の前文に記載されているような国家の目的が達成できるのか?そしてこれらはインドネシアの国民性にと合うのかはなお明確ではありません。
 政治民主主義では経済的民主主義が無視されたため、国民の福祉が保証されていませんでした。このような経済的民主主義が欠落した政治的民主主義は豊かで平等な社会を目指す革命的変動と共に成立したパンチャシラの実践とは無関係の状況にあります。
 現在、インドネシアの国民国家においてパンチャシラに対する新しい認識が出てきています。
 将来、国家の基礎及び希望の星としてのパンチャシラの存在はインドネシア国民が自分のアイデンティティの印として、インドネシア共和国の国家システムにおける相互協力社会の実現に向けるための重要な指針でもあります。
 ブン・カルノは次のように述べています。
 「皆様、相互協力はダイナミックなイデオロギーであり、親族関係よりさらにダイナミックな存在である!親族関係は静的なイデオロギーであり、一方、相互協力はSoekarjo: satu karya, satu gaweといった一つの努力、慈善、仕事を含んでいる。この仕事、慈善を一緒に完成しよう!相互協力は一緒に努力し、一緒に汗をかき、一緒に助け合い、みんなのため全ての慈善、みんなの幸せのための汗、みんなのための相互協力である!」
 現在、インドネシアの国民は社会的相互協力の方向に向っています。最初の段階としては、イデオロギー的な方法で国民と人格の形成するための政治教育を行う必要があります。

以上


プティ議員の講演の後、柴田センター長の求めに応じてグントゥール・スカルノ氏のコメントがなされた。
その後、34号館10階のスカイラウンジでレセプションが行われた。

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国士舘大学のホームページにおいても、スカルノ国際共同研究発会式についての紹介が掲載されました。下記リンクにてご覧いただけます。https://www.kokushikan.ac.jp/news/details_07662.html