2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第7回 藤田先生 6月10日 11/12
サイバー・アジア 都市のデジタル・ネイティブたち
■デイリー・ミー 情報の個人化、ニュースの個人化
ここで、サイバー・アジアとデジタル・ネイティブの登場についての簡単なまとめをしておきます。今までごらんいただいたように、アジアにおいてもネット社会化というものが、急速に進行しています。その中で、いくつかの特徴的な変容が見られます。
まず、この過剰な情報を受け止め判断するためのスピードが、どんどん加速している。個人のノーマルな時間軸を無視したネットからのあふれんばかりの断片的情報、また1日に50回、100回とやりとりするメール環境の中で、個人の情報の認識や理解、コミュニケーションがますます反射的になり、ステレオタイプ化しつつあります。
それへの対処の仕方として起こった現象が、情報の個人化、ニュースの個人化です。これは、検索技術の進化により、個人が情報を自由にコントロール、カスタマイズできるようになったことにより「知りたいことだけ知っていればいいんだ」という形で、個々人の中で「情報の偏食」が強烈な勢いで起きてくる。これは、特にこの世代に起きつつある現象ですが、「デイリー・ミー」と言われています。一見効率的な情報収集の方法と思えるでしょうが、実はこれによって私たちが社会常識だ、共通前提だ、と思っていた知識・情報がバラバラになってくるという事態が起きているということです。これは、今後「社会」を維持する上で、大変困難な環境を生むことにならないか。

■集団分極化
これはネット上のコミュニティ、グループ形成の中で起きていることです。地縁・血縁・職縁といった物理的な社会関係と違うレベルでの趣味縁、志向性のグループが、ネット上に膨大な島宇宙を形成しつつあります。「匿名」を基盤にした無数の「同好の士」たちが、先程いった「好きな物しか見ない」「興味のない情報、嫌いな連中は排除する」という「集団間の分極化」とその先鋭化を進行させる。東アジアのネット空間におきているフレーミング的な状況は、まさに双方が合わせ鏡のような閉域に陥っているのではないか、とさえ思います。

■匿名と実名、アイデンティティのゆらぎ
これは、一人の人間の中で、個人になったときの現実の人間とネット上の人間という分裂が起き始めていると思います。元々人間は社会の中での様々な役割期待に応じて、自らを社会化していくものですが、ネット上でそれらの自分をどう処理していいのか、いささかもてあましているのではないか。これは、ネット上における「匿名と実名」の問題が深くかかわっていると思います。これは、多分に文化的な背景もあることですが、アメリカは実名でインターネットに関わるということが、かなり浸透しています。韓国は住民登録番号での統一管理により、一応技術的には個人確認を可能にしていますが、電子掲示板等においては、匿名の言葉が飛び交う状態は変わりません。ネット上の集団力学が、次々と大きな事件、運動を生んでいます。中国の場合は、一見以前に比べると、半匿名性的な自由なネット状況を提供しつつあるように見えますが、実は最も国家的な技術コントロール下におかれつつある。これは、次回の「ユビキタス・アジア」の回で詳しく述べます。日本はどうか。未だ決めかねている。一般へのネット開放以降、市場に任せ続けている。ある意味、良くも悪くもアジアで最もアナーキーなネット空間を作ってしまったと言ってもいいかもしれない。