2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第1回 梶原先生 4月15日 1/10
王都の憂鬱:バンコク
<はじめに>
これから12回にわたって「現代アジア都市の肖像」というお話をさせていただきます。最初と二回目は私が担当いたします。
今回の企画は国士館大学にアジア・日本研究センターの土佐副センター長と、私が二人で企画をたてまして、本学にかかわる方々にお願いして、6名で2回ずつ、現代アジアの都市についてお話をさせていただくというものです。
その時々にご紹介があると思いますが、最初の回ですので、簡単に全体の企画のご説明と、どんな方がお話下さるかということについてごく短くご紹介をさせていただきます。

一般的な都市論として、都市とはどういうものであるか、たとえばご存じのように都市社会の特徴といいますとまず匿名性という言葉がよく出てまいります。対面的にみなさんがお知り合いの小さなコミュニティとは違って、都市に住んでいる人間というのは隣に誰が住んでいるか、何をしているかを知らない。もちろん都市社会の中でご近所というのが死滅したわけではありませんのが、だんだんと希薄になって、よくわからない人たちが膨大な数で集まり住んでいるのが都市だとしばしばいわれます。
また、都市社会の特徴は、専門分化、職業分化というのが非常に進んでいると。農村ですと、かつては家をたてるときに同じ村のご近所が一致して棟上げを行うとか、草葺きの屋根を一緒に換えるというような共同作業がありましたが、都市の場合、屋根は屋根屋さんがきて、建築業者がいて、あるいはそれぞれ職業分化がすすんでいるといえましょう。
今日お話しするバンコクはいうまでもなくタイ国ですが、今から35~36年前にタイの農村で文化人類学的な調査をいたしました。その頃のタイの農村、かなり辺鄙なところでしたのでもちろん電気もガスも水道もありませんでしたけれども、そこでは農業をやっている人が、需要があれば床屋さんになるということで、椅子一つ農家の裏庭にあって、そこで頭を刈ってもらったことが何回もありました。強靱な体力で、しかも器用仕事、手先を使った仕事まで何でも皆さんがなさってやってしまうというような、職業が未分化の状況というのでしょうか、それが農村社会の特徴だとよく言われています。
都市の理論的な一般化ということも当然都市を考えるという場合に必要ですし、また、人が多く住むことによって公害が起こったり、交通渋滞が起こったり、そうした問題も都市一般について考えるときにはよく取り上げられてきました。今回の企画は、そうした都市の一般論というよりもアジアの特定の都市、それもあまり古い時代ではなくて現代の都市がどうなっているかということをそれぞれ講師のご体験も含めて最新情報を伝えていただくことであります。
講師の方々を簡単にご紹介しますと、土佐さんは先ほど申し上げたアジア・日本研究センターの副センター長で、文化人類学ご専攻です。彼は韓国社会の研究を基本的にこれまで続けて来られた方です。最近、新しいアジア論の試みとして、アジアのポピュラーカルチャーやアジアのコピー文化、海賊文化というような問題に対しても鋭い論評を行っている方です。韓国から出発して、ミャンマーであるとか東南アジアにも造詣の深い方でいらっしゃいます。