2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第1回 梶原先生 4月15日 3/10
王都の憂鬱:バンコク
今度は反対にタクシン派がASEANの会議を妨害して、会議中止に追い込み、外務省も渡航はなるべく避けるように指示を出し、企業によっては出張を自粛するというような話がこの1週間たくさん出ております。
もちろん今回の騒動でも亡くなった方がいらっしゃるわけですから、軽々しくは言えませんが、ご存じのようにタイは立憲革命が起こってから2年に1度くらいクーデターをやっている割合にもかかわらず、多くの場合多数の死者が出ないのがあの地の「騒乱」の特徴です。こうしたことをみると、タイの政変は一種の宮廷革命ないし都市の象徴的拠点をめぐる演劇的な行為といってもよいかもしれません。
今回も首相府に何千人かタクシン派のデモ隊が集まっていました。しかし、軍も強行突破はしません。また最後はあきらめてバスに乗って帰ってしまうというようなことで、一応は無事に中止されたというようなところです。こうしたこともバンコクという都市の性格にどこかで関わっているかもしれません。
それは、一つに要処というものがあると。どこの都市でも都市の要になるような場所があります。非常に近代的な都市でも、たとえば国会議事堂を押さえるとクーデターが成功するというような、そのような都市には要処があり、バンコクもその例外ではありません。またバンコクは極めて宇宙論的な性格を持った都市であるということが言えます。

非常に単純化してバンコクの地図を書きますと、この黄色がご存じの通称メナム川でございます。このメナム川というのはタイの名前ですとメーナムチャオプラヤー、チャオプラヤー川となります。
ご存じのように、バンコクはかつて東洋のベニスと言われたように運河が発達した場所でしたが、東京と同じく道路を造るために大部分埋め立てられてしまいました。それでもまだ今日でも多少は残っております。最初に出来たクルン・カセーム運河は今日でもだいぶ残っており、その運河に囲まれた中が王都の中心部分です。そして、隣接しているのがサンペンとかヤワラートと呼ばれる中国人街。この中にパフラットのようなインド人街があります。旧市街の中心はタイの王権、仏教、それからその前にインドから伝わったバラモン教に関わる部分で、その外側に華人街、それからインド人街と拡がってゆきます。こうした区分はバンコク王朝の設立に始まっています。
それからその先にNew Roadとよく呼ばれるチャルンクルーンという道があり、両脇は商店が並んでいますが、この脇のチャオプラヤー川に面したところに、フランス大使館とか、昔のヨーロッパの商館が並んでいました。この付近には、今日でもイタルタイというイタリアとタイの合弁の商社のオフィスが、昔の建物を利用して残っていたりします。 それから有名なバンコクのThe Orientalがあります。マンダリンオリエンタル・グループのアジアを代表するホテルです。ですから、このあたりはバンコクのなかで、旧き時代のヨーロッパを感じさせる場所であります。

それから、更にもう少し時代が下がりますと、バンコクの市街はチャオプラヤー川の東南に伸びていきます。日本人駐在員がたくさん住んでいるスクムビット通りも、おおよそこの方向の道になります。また、その手前に有名なチュラロンコン大学や、サイアムスクエアーというショッピングセンター、更に最近その反対側も開発されて、巨大なショッピングモールのサイアムパラゴンがあります。東京のデパートのデパ地下を20軒分くらいあわせたような巨大な、日本の今川焼きからヨーロッパのチョコレートまで、東京のデパートよりは数倍広い規模で、食堂もあるし、食料品も売っているしという巨大なショッピングモールがこの辺にあります。これが現代のバンコクのおおざっぱな見取り図となります。