2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第1回 梶原先生 4月15日 5/10
王都の憂鬱:バンコク
<チャイナ・インフルエンス>
 他方で、現在のバンコクは人口も800万を超えるような現代の巨大都市であり、必ずしも均整のとれた発展・発達ということではなくて、どんどんスプロール的に拡がっている、ややカオス的な都市であります。
先ほどお話ししましたように、この中心部に続いて華人街が位置しています。ご存じのようにバンコクは、中国系の人口の比率が非常に高い場所で、たとえば今回の政治的な争いでいろいろな政治家が出てきますが、今悪役になっているタクシン・チナワットという人は、出身はチェンマイ省ですが、もともとは中国系です。
チェンマイの郊外にサンカンペンというところがあります。彼はそのあたりの人で、そこで絹織物のローカルな企業としてチナワット家というのは続いておりました。もともとの祖先は、場所は忘れましたけれども中国です。福建省だったかもしれません。アピシットさんという今のタイの総理大臣は私不勉強で本当は何系かよくわかりませんけれども、おそらく中国系が入っていると思います。一時期タイの閣僚27人のうち24人が中国系だといわれたこともあり、中には中国の名前も持っているという方がたくさんいらっしゃいました。今の内閣はそこまではいないと思いますけれども、やはりバンコクは中国系タイ人の街といってよいくらいです。
先ほど言いましたが、インドのヒンドゥー・仏教的なコスモロジーに基づいたタイ風の都市でありますけれども、同時にその内実は中国的な都市であるとも言えます。たとえば宗教的なシンボルで、さきほどのワットプラケーオほど目立ちませんけれども、ワットプラケーオの隣のワットポーというのは中国系出身者の帰依が篤い仏教寺院だといわれていますし、仏教に寄付、寄進を行う、あるいはタンブンといって徳を積むための儀礼を行う人の中には中国系の人もたくさん含まれています。
元首相のタクシン氏は、歴史的な話に戻りますと、さっき申し上げた現在のバンコク王朝、これが拓かれる前に短い時間ですけれども、チャオプラヤー川の反対側の、トンブリに王朝を拓いた王様の名前が同じタクシンという符合があります。ご存じのようにタイは家族の名前を呼ばないで、アピシットさんもタクシンさんも日本でいえばファーストネームのほうだけで呼ぶ社会です。ですからプレムさんという王様の顧問、元陸軍大将で首相も長いこと務めて、国王の信頼が一番厚いといわれる枢密院の議長ですけれども、彼もプレムと呼ばれていますけれども、家族の名前はティンサラノンといいます。
元首相と同名のかつてのタクシン王は、在位途中で少し精神的な障害が起こって、独裁的な側面が強くなったので、その将軍の一人であるチャクリという人がタクシンを討ち取って、対岸に渡って拓いたのが今のバンコクの街の開祖、あるいはチャクリ王朝の最初となります。
歴史的運命に引き寄せて考えると、現在のタクシンさんがなぜ政変事件の主人公になったかというと、いろんな理由がありますが、一つの発端は王様に対して不敬であるといわれたことに関わっています。タクシンというのはタイ史上で初めて単独与党、しかも圧倒的多数を選挙でとった人であるわけですね。タイで与党が圧倒的多数を獲得するということはほとんど歴史上なく、ご存じのように小党連立スタイルがずっと続いてきた、ヨーロッパでいえばイタリアに近いような内閣の組みかたをずっとしてきました。その中で初めて前の前の選挙ですか、タクシンの愛国党が地方を総なめし、バンコク以外の農村票をほとんど全部とってしまいました。おそらく8割くらいは愛国党が取ったんではないかと思います。 それは農村の医療の無料化とか、補助金を出すとか、一方ではお金をばらまいたという悪評紛々たる政策ですけれども、逆に初めて農村にそうした政策が積極的に展開され、農村開発の資金が末端までまわったともいわれております。