2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第1回 梶原先生 4月15日 8/10
王都の憂鬱:バンコク
ある程度経済的に余裕があって、新しいライフスタイルを求めて、どちらかというと民主主義のほうがいいと、あまり伝統ばかりでは堅苦しいと、外国にも関心があるという人達が買い物をする場所が、余裕のない人々も冷房を求めて集まってくるということもありますが、ここにあります。
また今回の政治的な騒動に戻りますが、新聞等でご存じのように、今回はこうした都市中間層の多くはタクシン派ではありません。必ずしもアピシット派とはいえないのかもしれませんが、タクシンを応援しているのはこういう人達ではありません。タクシンを支持する大多数は農民といえましょう。そしてある種のテクノクラットや市場至上主義者などの都市的な支持者もいるのですが、1995年に軍部のクーデターに対して反対運動をして王様の調停を招いた人達は、いわゆる新都市中間層でした。当時軍部のクーデターに対して異議をとなえて、車を使ったデモや一種のサボタージュをやって、結果として都市中間層が勝利したんです。そのあとすぐ暫定内閣で、まさに新都市中間層よりはもうちょっとアッパークラスですけれどもアナン・パンヤラチュンという人が総理大臣になって、これは実務官僚、外務次官をやった人ですけれども、タイ政治史上で一番効率のいい、ある程度民主的な政治が行われたという評価がありました。ですから時間の経過をみると、新都市中間層の政治的な立場もそれほど一環したものではありません。
新しいショッピングセンターが沢山できる以前は、王宮のそばに王様の庭というか、サナームルアンという場所がありました。ここにウィークエンドマーケットといって、週末になると巨大なマーケット、露店が開かれて、それこそペット用の野生動物から食べるための野生動物まで含めて、衣食住に関するもの全てを売っていましたが、現在はもう少し離れた郊外に移されました。
ですから東南の方向に第一期のバンコクの大きな発展の道筋があったんですけれども。今は第二次、第三期の発展でバンコクはこちらのほうにも少し伸び出しました。この中間層がどこにすんでいるかというと、伝統的にバンコクの中心部に代々土地をもって家を持っている人もいますけれども、やはり新しい住宅地が東の方にできました。いくつか見てきましたし友人が住んでいたりしますが、バンコクの大規模な個人住宅地はある意味では東京の住宅より質がいいんではないかと思います。部屋一つずつの仕上げがどっちがいいかというような細かいことになりますと問題がありますけれども、広さであるとか住環境であるとか、ゲート付きの住宅地という形式によるセキュリティ(セキュリティ全体としては東京のほうがいいですけれども)、空き巣防止などについてはある程度アメリカンスタイルの新しい住宅街のほうがいいのかもしれません。そう思うような住宅が増えております。

ただし、いくらスカイトレインという高架鉄道が出来たり地下鉄が出来たりしても、やはり道路の交通の混雑ぶりは、一時期よりはましとはいえ、バンコクの大きな弱点です。東南アジアの中でもマニラほどではないにしても、車で移動する時間で消耗してしまうという都市であることも間違いありません。

<王都の憂鬱>
もう少しお話をさせていただきますが、このバンコクの10年20年の変化というものを考えてみますと、もちろん高速道路網が拡がったとか、さっき申し上げた地下鉄あるいは高架鉄道の充実によって移動性が一時期よりは回復してきたことがありますが、なんといっても感じられるのは、今日副題とした「王都の憂鬱」問題です。