2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第1回 梶原先生 4月15日 9/10
王都の憂鬱:バンコク
今回の政情不安に王様がなぜ調停しないのかとか、12月5日がプミポン国王の誕生日で、毎年4日の日に誕生日のメッセージをここ10年以上王様が出してこられたのに、今回はなぜなかったのか、という問題がささやかれています。これまで国王は、場合によっては政治的な争いにも触れたり、遠回しではありますけれども国民経済をどうしたらいいかというような、有り難い教えを示唆なさる、そういう機会が必ずありました。しかし、昨年12月のお誕生日の前は、あまりご健康がすぐれないので、今年は省略するということで何もなかったんですね。
今回みていましても、王様が、一つは健康上の理由だと思ますが、仲介者としてタクシン派と軍部というかアピシット派の間をとりもつというようなことが全く現実に起こっていないようですし、できていない。82歳になられたこともあり、健康状態が一番大きな理由だと思いますが、もう一つは調停するという立場というのは、当たり前のことですけれども中立でなければならないわけですね。あるいはどちらにも偏らないと。
非政治的な政治的関与が期待されているところもあります。それが王様の役割。立憲君主制の現代の王様の役割。かつては、王様が言うんだからしょうがないということになりましたが、今の王権というのはそうはいかないもので、イギリスの王権にしても、タイにしても日本にしても、バランスをとって非常にうまくやってきた、そういう性格をもっていると思います。
特に最近この40~50年に関しては。その達人として今のタイの王様のプミポン国王という存在があったわけですけれども、今回はその神通力がきかない。それはアピシットさんの背景にプレム・ティンサラーノンという、さっき言いました昔の陸軍の司令官でその後首相になって、プレム氏は政治家としては穏健でありかつタイの経済成長を確実なものにしたと評価が高い人でありますけれども、だんだんそのプレムさんの信用が、必ずしもいい方ばかりではなくて王様との関係も近すぎるというか、王様が中立な立場でおられなくなってしまったというような雰囲気がちょっと出てきたような気がします。その背景にここ10年20年のバンコクに象徴される、タイの王様のある種の遍在、王様の責任という周囲によって王権が強くなりすぎたのではないかという問題があるような気がいたします。

1990年代にバンコク遷都200年祭というのが開かれました。これは昔の時代を表象するような伝統的な、といっても19世紀に造られた伝統ですが、タイの官僚組織の行列ですとか、チャオプラヤー川を使った王様の船の行列であるとか、そういうものが繰り広げられて、特にバンコクでは祝祭一色になった時期がございました 。
これがまたタイの国王としては異例な、18か19で国王になっていらっしゃるから、昭和天皇を抜く在位ですね。タイで在位50周年というのは大変なことで、ほぼ類例のないことです。15年くらい前にそのお祝いがあり、当時は何を見ても王様がでていらっしゃる。アジア大会の開催の挨拶の中でもタイの国王がいかに有能で偉大な人物であるかというのが出てくる。もちろんプミポン国王は大変謙虚な方ですし、英明な君主ですから独裁的な方ではありませんが、その風潮一色になってしまう。バンコク市内の飾り付けでも12月のお誕生日の1ヶ月くらい前から国王一色になりますし、10年くらい前ですと12月だけだったんですけれども、昔からタイ人は王室に対する尊敬の気持ちが強いから、どこの家に行っても国王、王妃の写真をかざっていると言われていますけれども、今見るようなあれほどの形、あるいは量もふくめてなかったんですね。