2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第2回 梶原先生 4月22日 2/7
地上の楽園:アジアのヒル・ステーション(ダージリン、パギオ等)
こういうものが何で始まったかといいますと、ヨーロッパのいくつかの大帝国、特にアジア地域にヨーロッパが進出して、そして植民地化しました。インド統治のためにイギリス人の植民地官僚がやってきました。もちろんビジネスマンや、その他の人材も植民地で新しい仕事をしにやってきましたし、軍隊、軍人もやってきました。イギリス人の兵隊がインドにやってきて、半年以上滞在していくうちに、いろんな問題が起こってきます。
1つは、いわゆるノスタルジーと呼ばれるような望郷心、あるいは故郷を離れて、遠隔の地で仕事に従事することによって起こる、ある種の喪失感であるとか、それから離郷ですね、郷里から離れることによって、心身に不調を来すということが、しばしば起こってくるということが言われておりました。それから、ヨーロッパの気候とはかなり違った暑熱によって、夏、あるいは乾期には心身の不調が起こり得ます。それから公衆衛生、衛生環境の違いによる病気、特にヨーロッパにはない伝染病にかかってしまうということもありました。
植民地、あるいは帝国を維持していくためには、そこに駐在するヨーロッパ人の健康、心も体も含めてですが、これをいかに維持していくかということが大切でした。これは、当時の社会的医学の常識になりました。それから一つの統治技術というか、異民族とか異文化を統治する場合、あるいは、まったく違った環境や土地に対処することを考えると、過酷な気象状況や、本国とは違った対人関係を克服しなければなりませんでした。
そうしたことを緩和するために、1年間のある時期にヒル・ステイションに出かけて休憩をとること、すなわちヨーロッパ人にふさわしい気候条件の下で環境適応するための場所が必要だということでヒル・ステイションが誕生しました。
それからさらに、低地のカルカッタとかデリー、あるいはムンバイ、フィリピンでいえばマニラですね、そこに植民地政府の中枢があったわけですけれども、夏の間だけ首都機能を一時的に移転して、行政の中心、軍事の中心、そして社交の中心も含めてヒル・ステイションへ移転することが行われました。例えば、フィリピンのバギオに行くと大統領の夏の宮殿があります。かつてそこは大統領ではなくて、アメリカの総督の夏のレジデンスで、そこで政務も執っていました。総督に伴って、当時の植民地官僚や植民閣僚が夏を過ごしたようなバンガロー、バンガローといっても本格的な家屋というか邸宅ですけれども、そういうものの残りがまだあります。
それから、シムラにもかつての総督の宮殿の跡がありますし、ダージリンはだいぶ壊れていますけれども、それでも、かつての繁栄を思い出させるような建物がまだ残っています。ヨーロッパ人の健康管理あるいは心身管理を行うために、保養地が必要であるという認識があってヒル・ステイションが造られたわけです。健康の維持と、それから士気といいますかモラルを維持するために、環境を変えることが必要であるということで、スタートしたわけです。基本的に高いとこへ行って、ヨーロッパなみの気候で涼しいところに住みたいと、一時期でもそういうとこに人を送り込むということだったわけです。

<生活モデルとしてのヒル・ステイション>
2番目に、このヒル・ステイションはヨーロッパ人の生活のモデルケースないしショーケースの役割を果たしました。ソフトパワーという言葉は、ここ10年ぐらいよく使われるようになりましたが、政治的な統治を行うときには、軍事力だけではなくて、何か相手を感心させたり、魅力があると思わせるような文化的統治が必要だといわれています。