2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第2回 梶原先生 4月22日 3/7
地上の楽園:アジアのヒル・ステーション(ダージリン、パギオ等)
アメリカの影響が強いのは、もちろん軍事強国、超大国であるということもありますが、同時にアメリカ流の生活方式、つまりアメリカン・ウェイ・オブ・ライフが戦後の日本社会にとって大きな魅力となったことがあります。現代のアメリカ、帝国としてのアメリカだけではなくて、19世紀からの世界に広がった帝国の中でも、同じようなことは行われていたわけです。
その統治を確かなものにするための軍事力の割合というのは小さいわけで、インドの人口を考えると軍隊だけでインドを統治しようと思えば、相当な数のイギリス兵が必要になります。効率の悪いことは、植民地というのは意外とやらないわけです。軍人の数は減らして、あとは文化統治をやるわけですね。
そうするとその材料になるのは、イギリス人の生活ぶり、暮らし方を見せる。それからイギリスの学校制度というものを広めていく。それから法律の制度をインドに根付かせていく。もちろん議会制民主主義。皮肉なことに、植民地に民主主義があるのかという疑問は、当然、最初に出てきてしまうわけですけども、それでも、議会というものを、インドにどういう形で根付かしていくかということを、宗主国がインドでやるわけですね。そうした文化的統治が今日のインドを形作っていったわけです。その中でヒル・ステイションが示すものとは、生活のレベルでのお手本、ヨーロッパ流の生活、イギリス流の生活というものを、特にインドのエリート層に見せるということが大きな任務であったと考えてもいいかと思います。これは、アメリカもそれからフランスも、ダラットでもバギオでも、それに類することをやったわけです。
生活ぶりを見せるとは、例えばヒル・ステイションに社交のためのクラブが作られるわけです。バギオでいいますと、アメリカがフィリピンを領有したのは19世紀の最後の方でしたが、その後バギオカントリークラブが1915年ぐらいにできました。今日でもまだ、その名残が続いております。
最初は、オフリミットなんですね。フィリピン人、入るべからずと。やがて、フィリピン人のエリートも会員になれるようになります。ですから、インドのエリートとかフィリピンのエリートが、アメリカとかイギリスの生活スタイルというものを、彼らは留学で身につける場合もありますけれども、子どものときからこういうところに出入りして覚えていくのです。ライフスタイルの親近感とか、優越性、卓越性など、理想生活を垣間見せることによって植民地統治を実現する一つのモデルケースを提供する場所でもあったわけです。

私は1968年に、たまたまインドに行く機会があったものですから、ちょっと無理をして、出掛けました。当時ダージリンは、まだ19世紀のヒル・ステイションの中心の1つであった面影を残していました。大変立派なホテルもあり、テラスに出て前を見ると、8,000メーター級のヒマラヤの山がすぐ目の前に臨めるような所でお茶が飲めるという贅沢をしました。それから約35年経って、再びダージリンに行きましたら、もうそのホテルは閉鎖されていました。ヒル・ステイションとしての魅力はありましたけれども、人口流入が激しく、町はだいぶ変わっていました。
ダージリンには何らかの仕事があるといって、ヒル・ステイションができたときからインドから人が集まってくる場所でもあったのですが、さらにそれが激しくチベットからの難民や、ネパール人もインドに入ってくるようになったためです。