2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第2回 梶原先生 4月22日 4/7
地上の楽園:アジアのヒル・ステーション(ダージリン、パギオ等)
ダージリンにどんどん人が入ってきて、彼らはもともと土地がないわけですから、どこか空き地に小屋を建てて住み始めるということが起こりました。そのため、ダージリンが、都市として持っていたような計画された都市空間のきちっとした秩序だった美しさというものは、もう今日は、ごく一部にしか残ってない。都市としては、もうガタガタになってしまったということであります。ですから、その雰囲気は今だいぶ変わってきました。しかしながら、少し年輩の方の思い出話を伺ったり、あるいは、今でもちょっとそういう雰囲気は残っていまして、やはり、地元の人というか、インドの人とかスリランカの人とか、フィリピンの人にとって、こういう都市というのは、かつてほどの威光、栄光は、もうありませんが、特別の場所として認識される度合いが非常に強いわけです。
例えば、バギオに行くときは、やっぱりお行儀をよくしなきゃいけないとか、ゴミをすぐ簡単に捨ててはいけないというようなことを親から言われて、緊張したことをよく覚えていると、わたしと同世代の人でも、そういう話をよくしてくれます。それから、バギオはアメリカに一番近い場所だということをフィリピンの人はよくいいます。マニラよりもサンボアンガよりも、バギオこそ、山の中なのですが、アメリカに一番近い場所。それから、スリランカの人は、ヌワラエリヤのことをリトルイングランドだと異口同音に言います。つまり、さっきお話ししましたように、ショーケース、ショーウィンドー、イギリスというものを生活のレベルである程度体験させてくれる、実感させてくれる場所が、スリランカでいえばヌワラエリヤであります。
ヌワラエリヤでも、それからダージリンでもよくわかることは、イギリスで育つような木を全部移植して持ってきて環境も変えてしまうことです。それから動物も導入できるものは入れてしまう。川には、スコットランドに棲んでいるようなマスのたぐいを放すということを徹底的に行っております。そのため、気候が近くてというだけではなしに、植物や動物も人の手が加わって、イギリスの故郷を思い起こさせるような道具立てを全部作ってしまうということをやっております。それから家屋の建築も、スコットランド風の少しカントリーハウスに近いようなものであるとか、市の中心の方は英国の当時の近代建築を模したようなものがありますけれども、故郷を思わせるような仕掛け、それが同時に、現地の人間にとっては、イギリス風のライフスタイルというものを感じるきっかけになるような設えを用意してあるということです。

<近代的制度の展示場>
環境を整えるということだけではなしに、学校も、例えばダージリンには、インドでも有数の、イギリスのパブリックスクールをまねた学校があります。ダージリンというのはちょっと離れた所ですけれども、この学校を出てイギリスの大学に留学するとか、インドの有名大学に入学することがあり、今でもスタンダードを維持しているという話を聞きます。教育機関も、こういう場所にはそれぞれ優れたものが作られ、バギオにもフィリピン大学の分校があります。バギオは教育都市として、大学だけでも30万の都市としては数が多く、10校ぐらいあります。ですからルソン島北部、中部にかけての教育都市としての力も持っています。これもやはり植民地時代にアメリカがフィリピン統治を重視した現れのひとつでもあります。
ヒル・ステイションの目的は心身の保養を目指すということですので、いずれの場所にも、医療機関、病院が作られています。当時としてはその場所においては最新の、しかも最高の水準の病院が作られています。ダージリンでは、まだその病院の名残をみることができます。そこには極めて印象的な、つまり19世紀の後半のヨーロッパで病院の建築はかくあるべし、病院というものは社会にとってどういうものだったかということが分かるような建物がみられます。巨大な回廊式で、3~4階建ての鐘楼がついた病院があります。