2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第2回 梶原先生 4月22日 6/7
地上の楽園:アジアのヒル・ステーション(ダージリン、パギオ等)
バギオは、町としてはかなりガタガタになっていました。中心部の公園も、当時のアメリカの第一級のバーンハムという都市計画家が手がけたのですが、彼が設計したとはとても思えないようなお粗末な状態でした。しかし、基本構造はものすごくよくできています。ですから、当初の設計と当初の建築は良かったのでしょうが、年月を経てだいぶ変わってしまったということを感じました。
ただ、バギオでその時に1カ所だけ非常に保存のいいとこがありました。それはアメリカ軍の休暇基地キャンプのキャンプ・ジョン・へイです。広大な場所で、ゴルフ場もその中にありますし、林の中にバンガローが点在し、食堂であるとかホテル機能を持った中央の建物もあって、1,000人ぐらいの人が泊まって休暇を楽しむ場所でした。アメリカが資金を出して、戦後も米軍施設として維持し、例えばベトナム戦争が起こったときに、このキャンプは保養基地として利用されていました。
当時フィリピンは独立したとはいえ、日本と並んでアメリカの影響が極めて強いところですので、治外法権的にこういうところを維持していました。また、フィリピン国内にはアメリカ軍の基地もあって、今はフィリピン政府に返還されましたけども、中部にクラーク空軍基地があり、マニラから3時間ほどの所にはスービック海軍基地がありました。深い港があって、巨大な軍艦も着きますし、原子力潜水艦も、ここを基地としていた。第7艦隊もフィリピンではここに寄っていました。
ヒル・ステイションであったバギオのキャンプ・ジョン・へイと、それからこの空軍基地と海軍基地、これが、アメリカとフィリピンの軍事協定が破棄されて、全部フィリピン側へ返還されたわけです。キャンプの返還で話題になったのは、フィリピン人はこの芝生を守れないに違いなく、半年でボロボロになるといわれたことです。芝生をきちんとしておく、特に暑いところでは、これは意外に大変なことです。アメリカ軍施設が返還されて、確かに芝生も劣化しましたが、予想よりもよく維持されています。
バギオのキャンプ場辺も、昔の面影はかなり保存されていますし、建物その他も、多少、安っぽくなったなという気はしますが、なんとか維持されています。それからバンガロールは、さっき述べたように、逆にIT中心地としてさらに活性化して、巨大化しています。

非ヨーロッパ世界で、ヨーロッパ人の心身の健康をどう維持するかということで、ヒル・ステイションはそもそも始まりましたが、それは、ヨーロッパ的な生活というものを、自分たちでエンジョイするということも当然含まれますが、現地人に見せつけるという意味でのショーケースとして、ソフトパワーを構成するというような意味合いがあります。そして、これはヨーロッパ人からみて、ある種の理想都市というものを地上に実験的に具体化する、仕掛けでもありました。ですから、もちろんロンドンもパリもウィーンもベルリンも素敵な都市ですが、そういう巨大都市では必ずしも実現できない都市生活の神髄というか、精髄というか、それを環境からすると非ヨーロッパ的な環境の中に実験的に作り出してみることが行われたわけです。そうしたユートピア的都市として、ヒル・ステイションは大きな意味をもっています。