2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第3回 松岡先生 5月13日 3/9
ムンバイ:"ボリウッド"から世界に発信する大衆文化の都
それから次に、東インドの中心地がコルカタになります。コルカタのある州は西ベンガル州といいます。なぜ「西」ベンガル州という名前がついたかというと、西ベンガル州の東側にバングラデシュがあります。この両者はもともと一つで、ベンガル地方を形成していたんですね。その中心地だったコルカタ、元の名前はカルカッタですけれども、ここは1912年まで大英帝国インドの首都があった所なので、19世紀の末から20世紀初頭にかけて非常に文化が栄えました。それがイギリスによって東ベンガルと西ベンガルに分けられ、1947年のインド独立で東側がパキスタン領になります。パキスタン領の東ベンガルがその後独立して、バングラデシュという国になりました。ですので、インドの西ベンガル州の人たちは、我々は西側のベンガル、バングラデシュは東側のベンガルという概念があるわけです。西ベンガル州の州都コルカタも、2001年にカルカッタという名前からコルカタに変わっています。

あと南インドなんですが、南インドには4つの州があり、北インドとはいろんな面で違っています。北インドに住んでいる人種はインド・アーリア系、南インドにはドラヴィダ系の人たちが住んでいます。ドラヴィダ系の人たちは元はパキスタンの辺りに住んでいて、インダス文明を作った人たちだと言われています。そこに西からアーリア系の人たちがやってきて、ドラヴィダ系の人たちを南インドへと押し下げていった。何千年も前の話ですから、それ以来混血が進んで、現在ではそんなに顔の区別とかはないのですが、言語の系統が、北はインド・アーリア系、南はドラヴィダ系に分かれているなど、様々な違いがあります。
南インドの中心の都市は、チェンナイという所です。チェンナイも元々はマドラスという名前で、1996年に名前が変わりました。チェンナイのある州をタミル・ナードゥ州と言います。さっき『ムトゥ 踊るマハラジャ』はタミル語の映画だと言いましたが、この映画はチェンナイ、元のマドラスで作られた映画になります。

その中で今日はムンバイのお話をするんですが、まず、ムンバイがなぜボンベイから変わったのかというお話をしましょう。1995年にムンバイに変わったのは、ボンベイという名前は西洋人が付けた名前で元々のインドの名前ではない、元の名前に戻そう、という主張が保守的な人々からなされて、ボンベイからムンバイに変わったわけです。ボンベイという名前は、ポルトガル語の「ボン・バイア」、「良い湾」から付けられました。ここは良質の湾、非常にいい港になっている、という意味で付けられたものだったんですね。ポルトガルが来る以前は、現在の名前であるムンバイと呼ばれていました。
ムンバイというのは、ムンバー・デーヴィー、ムンバー女神から来ています。中世の頃この辺は、漁師しか住んでなかったそうで、その漁師やあるいは塩を作る人たちが信仰していたのが、ムンバーという女神だったそうです。ムンバー女神ということでムンバー・デーヴィー、あるいは母なる女神ということでムンバーお母さん、ムンバー・アーイーと呼ばれたりしていたのが縮まって、ムンバイになったそうです。ポルトガル人が言った「ボン・バイア」はムンバイにも似ている、ということで、ボンベイという名前が定着しました。

そのポルトガルが1534年、グジャラート地方のスルタン、つまり王様からここの土地をもらったというのが、当時のムンバイ、その後ボンベイとなる土地が発展するきっかけとなります。1534年にポルトガルが手中にした後、1661年にポルトガル王の妹がイギリスの王室に嫁いだ。じゃあ、何かお土産というか、持参金ならぬ持参財を、というわけで、ボンベイをイギリスに差し上げましょうということになったんですね。こうしてボンベイはイギリスに移譲されて、イギリス領となります。