2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第3回 松岡先生 5月13日 6/9
ムンバイ:"ボリウッド"から世界に発信する大衆文化の都
そもそも「歌舞伎」という字の、「歌」は音楽、「舞」は舞踊、「伎」は演技なんですが、音楽と舞踊と演劇性が一緒になっている、という意味を表しています。アジアの伝統演劇はどこの国でも、この音楽と舞踊と演劇性が一体化したもの、そういう演劇の形式を保っています。中国の京劇を初めとする伝統演劇もしかりですし、インドでも伝統演劇はこの3つの要素が一緒になった特徴を持っています。インドに映画がやってきた頃に盛んだったパールシー演劇というのがあるんですが、これもそうです。
パールシーというのは、ゾロアスター教の人たちで、8世紀ごろに今のイラン、ペルシャにイスラム教が入ってきて、そのためにインドの西海岸に逃げてきた人々のことです。その後お金持ちの人が多くなっていき、18世紀には彼らがパトロンになり、演劇の座元や小屋主になって演劇を発達させたので、パールシー演劇と呼ばれました。
このパールシー演劇が、そのまま映画に取り入れられます。題材を借りたり、あるいはパールシー演劇の役者たちが映画に出演をする。パールシー演劇は西洋演劇のノウハウを取り入れながらも、伝統演劇のスタイルを踏襲していましたので、歌あり、踊りありという形が映画にも取り込まれ、サイレントの時代からすでに踊ったりするシーンが出てきています。その後トーキーになって映画に音が入れられるようになると、それこそ「やった!」という感じでたちまち歌と踊りのシーンがたくさん入るようになります。
ちょっと付け加えると、歌と踊りが入る「ミュージカル」であるという特徴とともに、あらゆる娯楽要素が入るというのが、インド映画の様式の特徴としてレジュメに書いてありますが、これもインドの古典演劇理論に、演劇には9つの要素を必ず入れなさい、というのがあるんですね。9つの要素とは何かというと、色気、笑い、哀れ、勇猛さ、恐怖、驚き、憎悪、怒り、平安、となります。つまり映画で言うと、男女のロマンスを基本に、笑わせ、泣かせ、それからサスペンスとスリル、アクションも入れて、復讐劇や敵役の存在をからませ、最後にはハッピーエンドにする、こういう理論があったんですね。パールシー演劇もこの理論を踏襲していたんですが、これも映画の中に取り込まれていきます。
この9つの要素を取り込んで、歌と踊りも入れて、ということで、インド映画は上映時間が非常に長くなります。今でも平均大体2時間30分ぐらい、長い作品だと4時間ぐらいになっています。こういう娯楽要素がたっぷりで、歌と踊りも入るというサービス満点のインド映画が、1930年代からどんどん発達してくるわけです。

初のカラー作品は1952年に、初のシネマスコープ作品は1959年にいずれもボンベイで完成します。1960年代に入ると、ボンベイに近いプネーという学園都市に、映画研究所やフィルム・アーカイヴが作られるようになります。つまり、国もボンベイを映画製作の中心地と見て、力を注いでいくようになるわけです。こうして1970年代の末には、インド映画の製作本数が世界一になり、ボンベイはインドのハリウッドだということで、「ボリウッド」と呼ばれるようになります。
ボリウッドはその後も発展を続け、1980年代にビデオ時代が到来して一時落ち込んだりもするんですが、1990年代に入るとさらに規模を大きくしていきます。1993年ぐらいから、インドはそれまでの国営放送1局の地上波時代から、衛星放送の時代に突入します。衛星放送の普及は、実は、1992年から93年にかけて起きた、大規模な暴動がきっかけになります。
これは、北インドにアヨーディヤという町があるんですが、そこのモスク、つまりイスラム教の寺院がある場所に、昔はヒンドゥー教の寺院が建てられていた、と人々が言い始めた。そして、保守的な人々が、そんなモスクなんか壊して元のヒンドゥー教寺院に戻せと言い出し、全国的な運動になっていきます。中でも右翼政党やヒンドゥー至上主義の人々が強硬に主張し、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立が激化していきます。