2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第4回 松岡先生 5月20日 2/9
シンガポール:アジア諸国を後背地に持つ他民族・他文化都市
皆さんおはようございます。前回はインドのムンバイ、旧ボンベイにはボリウッドと呼ばれる映画界があるということで、ムンバイの一つの面をご紹介しましたが、今日はインドから少し東の方に行って、シンガポールのお話をしたいと思います。
シンガポールは淡路島ぐらいの大きさで、小さい島なんですが、日本の方はわりとよく行かれる所というか、観光のインフラが整備されている所です。ただシンガポールは、文化のない所だ、観光とショッピングだけの町だ、という風にもよく言われます。私は常々、そうではなくてシンガポールも非常に豊かな文化がある所だと思っていたものですから、そういう面を今日はご紹介したいと思います。

シンガポールには、いろんな人種の人が住んでいます。レジュメにシンガポールの人口構成を書いておきましたが、まず華人、つまり中国系の人が75.2パーセントを占めます。彼らは以前は華僑と呼ばれていました。でも、「僑(仮住まい)」という意味合いがだんだんなくなっていき、今は華人と呼ばれています。次いで多いのがマレー系の人たちで、13.6パーセントになります。シンガポールのすぐ北側、半島の大部分がマレーシアですが、もともとはこのシンガポールも含めてマレー半島全体がイギリス領だったため、マレー系の人たちもシンガポールに多く住んでいます。それから、インドから移住してきたインド系の人たちが8.8パーセント。その他、ユーラシア系やアラブ系の人などが2.4パーセントと、こういう人口構成になっています。

シンガポールに関しては、ラッフルズという名前をお聞きになったことがあるかも知れません。イギリス人のラッフルズが上陸して以降、シンガポールは町として大きな発展を遂げていくんですね。ラッフルズが上陸したのが1819年で、彼はシンガポールにとって重要な人だということで、その名を冠したラッフルズ・ホテルという有名ホテルもあります。
ラッフルズが上陸した頃、すでに中国からの移民である華僑の人たちは、もうこのマレー半島にずいぶん移住してきていたんですが、それ以降さらに増えていきます。それから、マレー半島がイギリスの手に渡ると、ゴムのプランテーションなどが作られて労働力が不足したので、インドからの移民もやってきます。インドはそれ以前にイギリスが植民地化していたので、労働者だけでなく、警察官とか教師とか、役人といったイギリス植民地経営に携わるインド人たちもやってきます。こうしてマレー半島は、英領マラヤとして発展していくわけです。

人口構成の中で宗教も見ていくと、仏教徒、これは道教も含むと書きましたが、華人が多数を占める仏教徒が51パーセントになります。それからキリスト教徒、これは華人、マレー系、インド系とどの民族にもいるんですが、それが15パーセント。それからイスラム教徒、これはマレー系の人が中心ですが、インド系にも一部いまして、それが14パーセント。インド系の人たちはほとんどがヒンドゥー教徒で、あとシク教徒の人もいます。
シク教徒というのは、インド西部のパンジャーブ州という所を中心に住んでいる人たちなんですが、ターバンをかぶり、髭を生やしている人たちですね。シク教は16世紀頃に、ヒンドゥー教とイスラム教のいい所を取って新しい宗教を作る、というような形で生まれた宗教です。
パンジャーブの人たちは、昔から進取の気質に富んでいて、海外によく出ていっていました。ヒンドゥー教徒は牛を食べてはいけないというような禁忌がありますが、シク教徒の人たちはそういう制約がなかったので、特に海外に出やすかった。前回述べた印僑と呼ばれる人たちの中には、シク教徒の人たちが多かったんです。日本にも戦前からよくやってきたので、日本でインド人というと、ターバンをかぶった髭面の人、というイメージが非常に強かったりしました。その他ユダヤ教徒などもいて、いろんな宗教の人がシンガポールには住んでいるわけです。