2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第4回 松岡先生 5月20日 3/9
シンガポール:アジア諸国を後背地に持つ他民族・他文化都市
こういうシンガポールなんですけれども、戦争中はイギリス領だったということで、日本軍が侵攻して占領し、一時期名前が「昭南島」と変わったりしました。戦争が終わって日本軍が撤退をした後、再びイギリス領に戻り、今のマレーシア部分はマラヤ連邦になります。マラヤ連邦はその後イギリス連邦の中で独立し、やがてシンガポール、マラヤ、それからイギリス領のボルネオ、サラワクが一緒になって、1963年にマレーシアが発足します。
ただ、このマレーシアでは、シンガポールを除く地域ではマレー人たちが60パーセントぐらいを占め、あと華人が30パーセント、インド系が8パーセントと、マレー人の方が多数派でした。それで、マレー人を優遇して国を発展させよう、国としての体裁を整えようという性格が強く出てくることになります。一方、シンガポールでは華人の方がパーセンテージが高かったわけですから、シンガポールにしてみれば不満が出てきます。そのため2年後の1965年には、シンガポールはマレーシアから離脱して独立することになります。その時から今のような国の形になったわけですが、その独立の立役者李光耀(リー・クアンユー)が初代の首相になり、彼が強力なリーダーシップを発揮して、シンガポールをアジアの金融センターとして成長させていくことになります。

こうして1965年に1つの国家として歩み始めたシンガポールですが、内にはいろんな問題を抱えていたんですね。そのうちの大きな問題が、多民族であるということでした。多民族であると同時に、多言語でもある。シンガポールの人口構成のところに書きましたように、華人、中国系といってもいろんな出身地の人がいて、言葉も福建語、潮州語、広東語、客家語等々いろいろ違う。シンガポールとしては、その中国系の人たちをみんな一つにまとめたい、ということで、華語と呼ばれる標準中国語を採用することになります。
標準中国語で統一ができれば一番いいんですが、中国語には前述のようにいろんな方言がある。中国の各地からシンガポールにやってきた人が、みんなそれぞれに方言をしゃべっており、各家庭のレベルではたくさんの方言が使われている。みんな出身地に対する郷土意識というか、自らのルーツへの愛が強くて、それぞれの郷土会館を持っていたり、コミュニティーで固まって集まったりする。というわけで、方言は今でもなくならず、それを全部つなぐような形で華語が存在する、という形になっています。

そのほか、マレー系の人たちはマレー語をしゃべりますし、インド人移民は、チェンナイのあるタミル・ナードゥ州からやってきた人たちが多数を占めていたので、ほとんどの人がタミル語をしゃべる。他にインド系では、インド南西部のケーララ州からやってきたマラヤーラム語をしゃべる人たちもいるし、さっき言ったシク教徒の人たちはパンジャービー語が母語です。さらに北インドから移住してきたヒンディー語をしゃべる人たち、ベンガル地方からやってきたベンガル語をしゃべる人たち、ウルドゥ語をしゃべるイスラム教徒の人たちもいて、非常に複雑な言語状況だったわけですね。
この人たちをつなぐのはやっぱり英語しかないわけですが、英語だけを公用語にしてしまうことは差し障りがある。ということでシンガポールでは、英語、華語、マレー語、タミル語という4つの言語を常に同格の扱いにして公用語とします。ただし、公用語の中でもマレー語は、国の儀式の場などで使われる「国語」という扱いになっています。