2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第9回 宮脇先生 6月24日 2/9
遊牧民と農耕民が交わる首都:北京
皆さんがよく行く八達嶺(はったつれい)も、この司馬台も、北京市街から日帰り観光ができるところに万里の長城があります。万里の長城の北はモンゴルです。遊牧民がいるから万里の長城を作って境界にしたわけでしょう?北京というのがいかに北に片寄った街かがおわかりになると思います。中国全土から考えたら最北端なんですね。つまり北京は、中国の一番北に位置する防衛都市だったのです。この万里の長城が北京市のはずれで、長城の向こう側は河北省です。河北省は清朝時代はモンゴル人と満洲人の土地でした。農民はいませんでした。北京市といっても、こんな場所があるということをまずお見せしたかったのです。


去年の北京をちょっとご覧いただきましょう。道路は綺麗ですし、高層建築もいっぱい建っています。せっかくだから、建築中のオリンピックスタジアムの「鳥の巣」を、中まで入って撮ってきました。本当は許可証がないと入れないんですけど、一緒に行った女友達の夫は北京赴任中のドイツ人で、私も女友達もおしゃれをしていたから、外国人を案内してきた高級幹部に見えたでしょう。私たち3人を労働者たちが遠巻きに見ている間にさっさと入って、とりあえず急いで写真を撮って、大きな顔で出てきました。

2.街の名前の変遷
さて、北京という名前が出来たのは、実はそんなに昔じゃないんですね。中国の街というのは名前がどんどん変わるということを説明しましょう。北京市は、古くは、薊(けい)"あざみ"とか、燕(えん)"つばめ"とか、幽(ゆう)などと呼ばれました。今でも、詩を詠むときなんかは、雅号として、これらの漢字を使います。
それが首都になり始めるのは、北の遊牧民、狩猟民出身の人たちがここに拠点を置いたときからです。まず「契丹(キタイ)」。今でもモンゴル語とロシア語では中国のことを"キタイ"といいます。ハルビンにキタイスカヤという通りがありますが、ロシア人が「中国人通り」と命名したのが起源です。