2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第9回 宮脇先生 6月24日 5/9
遊牧民と農耕民が交わる首都:北京
4.中国人は「東夷・西戎・南蛮・北狄」の子孫
ところで中国人は天から降ってきたわけではなく、血筋としては、洛陽盆地に集まった、さまざまな種族の混血です。中国の古い文献では、洛陽盆地を中心とする「中華」をとりまいて、「東夷(とうい)」「西戎(せいじょう)」「南蛮(なんばん)」「北狄(ほくてき)」、略して「四夷」がいたとあります。「夷狄(いてき)」とか「蛮夷(ばんい)」も同じ意味です。
このうちの「夷(い)」というのは低いという意味で、昔は山東半島までが「東夷(とうい)」だったんです。ここが中国になったあと、日本が「東夷」と呼ばれるんです。つまり、中国が拡大すると、「東夷」「西戎」「南蛮」「北狄」が外側に拡大するんですね。「戎(じゅう)」というのは遊牧民で、「狄(てき)」というのは狩猟民で、「蛮(ばん)」というのが焼畑農耕民で、これに対して漢族を「中華」というのは、崋山という山が黄河の湾曲部にあったからです。つまり、中国人というのは、諸種族が接触・混合して形成した都市の住民のことです。だから、出身を問わず、都市に住んで、税金を払って、軍隊への奉仕をしたら、その人は中国人なんです。

5.中国文明における都市の役割
岡田英弘によりますと、中国文明の本質は、都市と漢字と皇帝です。中国は、黄河の渓谷から地方へ広がる商業都市のネットワークで発展したので、都市がまず中国なんです。「農村から中国が始まる」と毛沢東は言ったけれど、都市に住んでいる人間が本当の中国人で、都市の外にいる人たちは二流です。中国は今でも都市籍と農村籍に分かれていて、これは毛沢東が決めたんですが、それは昔からの伝統だったからなんですよね。
オリンピック前だから、北京の街に地方から労働者がいっぱい来ていました。でも、今でも中国では、街に住んでいる人は農村から出稼ぎにきた人たちに対して非常に冷たい。出稼ぎ労働者と北京の住民とは、まず話し言葉が違う。だから中国人は、海外でも「同郷会館」を作って、話し言葉が同じ人たちが助け合うんです。
中国文明は、言語の違う異民族が、洛陽盆地に集まって商売をするところから出発したので、見てわかる文字を優先したわけです。中国史は5000年続いたと言われますけど、漢字が続いたんで、それを担う人は、その時代ごとに入れ替わってきた。
中国人はもともと商人でした。遠方に出て行くと、まず城壁を建てて、その中に住んで、まわりの人たちと交易をする。中国の街には必ず城壁があるんですが、どうして城壁が大事かというと、まわりの人よりいい物を持っている、商品がある、倉庫がある。日本には中国の華僑も来たし、中国文明も入ったけれど、日本の集落というのは木の柵くらいで、壁がほとんどありません。日本はよっぽど平和で、格差がなかったんだなと、私は思うんですが、中国では首都だけではなく、村でも壁があるのね。「鎮(ちん)」という地方都市でも城壁がある。基本的に人が集まるところに壁を作るのは、「東夷」「西戎」「南蛮」「北狄」など異民族のいるところに出て行ったからなんです。