2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第9回 宮脇先生 6月24日 7/9
遊牧民と農耕民が交わる首都:北京
この皇城のために内城の市街は東西に分断されて、「東城」「西城」と俗称されました。東西の市街はそれぞれ4つずつの区画に区切られ、それらの区画は「満洲八旗」の兵営になっていました。「八旗」というのは、清朝の支配階級を、旗の色を黄、白、紅、藍の四色、縁取りの無い「正」、ある「じょう」で区別したので、こう呼ぶのですが、「満洲八旗」の他に「蒙古八旗」「漢軍八旗」もありました。ただし、八旗に属するモンゴル人と漢人は、行政上は満洲人として扱われました。


中国は、街も城壁に囲まれているけれども、家も壁に囲まれています。内城の胡同も、入り口は一つだけで、中に庭があって、庭のまわりに部屋が並んでいます。道に面した外側には一切窓もなく、塀が続いています。
胡同は、もともと官舎ですから、中庭も塀も規格通りにつくられた、非常にゆったりした美しい住居だったのを、毛沢東が1960年代に、住むところがない中国人に開放したんです。1912年までは満洲人だけが住んでいたのを、無理矢理安い値段で買い上げ、供出させて、何家族かで住んでいた場所に、その何十倍もの人間を押し込みました。それで、勝手に中庭に部屋を作るわ、二階をつけるわ、空中まで利用して、瓜など野菜を作っています。これは入り口ですが、電気のメーターボックスが並んでいて、一つの胡同にたくさんの家族が住んでいる証拠だと思って、写真に撮りました。スラム街になってしまったから、オリンピック前に壊したわけです。