2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第9回 宮脇先生 6月24日 8/9
遊牧民と農耕民が交わる首都:北京

紫禁城の近くでは胡同観光も始まっていますけど、外側の塀だけ直して、人力車で外側をまわるだけです。
北海公園は、今は新しいレストランがいっぱい出来て歓楽街になっていますが、もともと北海や中南海は、モンゴル人のフビライ・ハーンが人工的に作った池です。モンゴル時代に天津を開き、海から直接船が入って来られるようにしたんです。モンゴル人や満洲人は野蛮人じゃないんですよ。だけど、漢字を知らないと野蛮人ということになって、遅れて古い「蒙古」とか、変な漢字をわざわざ使う。


絵葉書『北京老景』から。

これが古い時代の北京です。二十世紀になってからの写真ですけど、まだ皇城を囲む紅色の城壁が残っています。「ラストエンペラー」という映画で、清朝最後の皇帝の溥儀(ふぎ)が、1912年に清朝が崩壊して中華民国が建国された後も、紫禁城の中で暮らす許可を得ていたのに、袁世凱(えんせいがい)が死んだ後、馮玉祥(ふうぎょくしょう)という軍閥に紫禁城から追い出される場面があります。それで日本の領事館に逃げ込んで、最後は日本の租界で暮らすんですが、追い出されるとき、この紅色の壁のそばを、宦官や女官が泣きながら走っているシーンがとても印象的でした。紫禁城の内部の建物は残っていますが、皇城を囲む壁はもうありません。