2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第10回 宮脇先生 7月1日 2/9
移動僧院から社会主義建設へ:ウランバートル
北方のロシアにもモンゴル人がいます。バイカル湖のまわりのブリヤート共和国は、もともとブリヤート・モンゴル人といったのを、スターリンが大モンゴル主義になると困るからとモンゴルの名前を取った。方言差はあるけれども、ブリヤートも内モンゴルもモンゴル語を話しています。でも今回は、朝青龍や白鳳の故郷のモンゴル国の話をします。

1.現在のウランバートル市
ということで、ウランバートル市はモンゴル国の首都です。モンゴル国の面積は日本の4倍。人口が、2008年で267万人。なんて少ないんでしょう。1921年に独立を達成した時は60万人。しばらく後で90万人。つまり、自給自足できる人口が100万人以下なんですね。理由は、あまりにも雨が少ない。年降水量の平均が200~300ミリ。日本だったら台風が来たら1日です。それが1年の降水量で、しかも夏だけです。シベリアのほうから湿った空気が来るので、モンゴルは、基本的に山の北側に木が生える。北方は森林があって、割合に暮らしやすいところで、南のほうが砂漠地帯です。
ウランバートルは北の森林地帯が終わって砂漠に入る手前にあります。河が流れていますから、定住しても暮らしていけます。ここから南は、広いように見えても人口が少なくラクダが活躍する場所です。日本とは違って、モンゴルは北の方が農業ができる。南の中国とモンゴルの国境地帯は本当に雨が少なく人のいない場所で、国境線が決まったのは1960年代です。中ソ紛争のとき、中国がモンゴルの歓心を買うため国境を決めたんです。


都市の話に入る前に、まず遊牧民の住居の話をしましょう。ご存じの「包(パオ)」というのは満洲語起源の中国語で、モンゴル語ではゲルといいます。