2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第10回 宮脇先生 7月1日 3/9
移動僧院から社会主義建設へ:ウランバートル
真ん中の天窓を柱で支え、まわりの木組みから竿を通して、外側にフェルトを張る。入り口は若干低くて、しゃがんで入りますが、中は10畳か12畳くらいあって、立って歩けます。フェルトを通して外の空気が入り、音も聞こえて、快適です。それから、真ん中で火を焚くと暖気がすぐまわり、非常にエコ。少しの燃料で零下30℃でも暮らせる優れものなんです。2000年以上前から、漢文史料にも帳幕とか天幕と出てきます。
今のウランバートルは、昔のモンゴル帝国の首都カラコルムと350㎞くらい離れています。日本人はモンゴルへ行くと必ず「カラコルムに行きたい」と言いますが、モンゴル人は「なんであんなところに行きたがる」っていうの。道も悪くて、行くのは大変なんです。朝青龍が泥温泉の治療で行ったハラホリン、あれが今のモンゴル語でカラコルムのことですけど、行ってみたら何もない。亀石が二つ草原に転がっているだけなんですね。

亀の形に刻んだ石は、上に石碑が建っていた台座なんですが、どうして何も残っていないかというと、建築石材は非常に貴重だったので、16世紀にチベット仏教寺院エルデネ・ゾーを建てるのに転用しちゃったんです。13世紀のモンゴル帝国の研究者は「悔しい。寺院を壊したら、いろんなものが出てくるだろうに」って思う。回廊の漆喰のはげたところに漢字が見えたりする。でも仏教寺院自体がユネスコの文化遺産なんで壊せません。
ところで先週の話を覚えていらっしゃいますよね?今の北京にモンゴル人が建てた大都は、北半分は城壁だけで建物跡は何もなかった。ここも108の塔のある壁が広い場所を取り囲んでいますが、仏教寺院はほんの一区画にしかない。真ん中には大きなテントを張るための礎石が円形に並んでいる。つまり、みんなで中にテントを張ってキャンプしたんです。もちろん経典を納めるところと仏像は必要ですので、チベット風の寺院と、中国式の建物があるんですが、残りは全部原っぱ。ちょっと行ってみたいとお思いになりました?
遊牧民になんで街が必要なの?ということなりますよね。モンゴルは雨が少ないから、1カ所にずっといると、たちまち草がなくなってしまう。草の栄養価は高いんですけど、たくさんの家畜に草を食べさせるために、2~3家族とか、5~6家族で暮らします。1カ所にいるということは、モンゴル人にとっては不自然なことなんですね。みんなが集まったら家畜も集まる。そうすると、その草原は荒れるわけです。夏だけは雨が降って草が多いから、久しぶりに集まって、相撲大会もできるんです。それで、モンゴルで都市は何のためにあるのかというと、商業センターです。モンゴルでは君主も移動していました。