2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第10回 宮脇先生 7月1日 5/9
移動僧院から社会主義建設へ:ウランバートル
13世紀のモンゴル帝国は、朝鮮半島から中国本土、チベット、今のイラン・イラク、トルコ、それからロシアまで領土にした。モンゴルはユーラシア中に道を造るんですが、カラコルムを首都にしたのは、モンゴル草原から世界各地につながる交通路の中心として、河沿いの、もっともいい場所だったからです。
それなのに、350キロも首都が移動したのは何故かというと、ロシア人がバイカル湖畔に進出し、北京からロシアに行く最短ルートが、今のウランバートルを通ることになったからです。現在のロモ中鉄道がそのルートを走っています。南から砂漠を越えて来ると、初めて河沿いの草原に出るところがウランバートルなんです。それで、18世紀からあと、ここがモンゴルの中心になったんです。
ウランバートル空港は非常に小さい空港で、山の麓にあります。だから、ジャンボジェットが離着陸できないの。あんなに広い国で平地がいっぱいあるのに、どうしてあんなところに空港を作ったか、街があるからです。最近、日本が援助して新空港を作るプロジェクトが始まっていますが、日本は相変わらず下手で、空港のインフラだけ大金を出して、空港の建物は全部フランス資本ですって。儲かるほうはヨーロッパに取られたそうです。
話を戻して、何故そこに首都があるかという理由が、モンゴル人のせいじゃない。清朝商人が倉庫街を作って、そこに仏教僧院が来て、人が集まって、という順番でウランバートルができたので、首都計画といっても、山と河に挟まれて、自由にはなりません。

4.モンゴル遊牧民がチベット仏教徒になる。
次にチベット仏教の話をします。今、モンゴル系民族と呼ばれている人たちは、みなチベット仏教徒です。モンゴル帝国の後裔の中で、カザフ人、ウズベク人、ウイグル人、タタール人などはイスラム教徒になりました。イスラム教徒になった人たちは、トルコ系民族に分類されています。どちらもモンゴル帝国の構成員の子孫ですから、顔も似ているし、血も繋がっているんですが、言葉や文化が分かれました。モンゴル人がチベット仏教徒になったのは16世紀で、カラコルムが仏教寺院になったときです。
モンゴル帝国時代にもチベット仏教が入ったんですが、チンギス・ハーンの遺言は、「どの宗教にも肩入れするな。全部対等に扱え」だったので、もとからあったシャマニズムという天の信仰が強かったんです。ところが1578年、フフホトを拠点としたチンギス・ハーンの子孫のアルタン・ハーンが、青海でダライ・ラマ3世と会見したあと、モンゴル人は全員仏教徒になりました。ダライ・ラマの「ダライ」はモンゴル語で「海」という意味です。知恵が海のように広い、という意味ですが、チベット語のギャツォという名前を訳したという説もあります。お坊さんに多い名前で、広く大きく限りがない、という意味で、空海という名前のモンゴル人僧侶もいます。ともかく、ダライ・ラマはモンゴル人が贈った称号で、これから現在の14世まで、チベットとモンゴルはずっと深い関係にあります。