2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第10回 宮脇先生 7月1日 6/9
移動僧院から社会主義建設へ:ウランバートル
5.イフ・フレー(移動僧院)と売買城が合体する
モンゴルに仏教が入った最初は、僧侶も遊牧民ですから、仏像をテントの中に置き、僧院も移動しました。移動僧院のことをモンゴル語でフレー(囲い)と呼びます。フレーは、昔は陣営という意味で、たくさんのゲルが丸く配置されたからです。一方、重い経典や仏像を運ぶのは大変なので、エルデネ・ゾーのような寺院も作るようになりました。
今のモンゴル国で遊牧していたハルハ部族のなかで、1635年にチンギス・ハーンの子孫に生まれたジェブツンダンバ・ホトクトが最高位の活仏となり、この人の移動僧院はイフ・フレー(大きな囲い)と呼ばれました。ジェブツンダンバのイフ・フレーは、最初、漢人商人が作った売買城のかたわらにガンダン寺院を造って経典と仏像を安置し、付近の草原を移動していましたが、1778年に、この地に定住してしまいました。シャビナル(弟子達)と呼ばれる領民たちは、その後も草原で遊牧生活を送ったわけですが、僧侶たちが先に定住することになったのね。
ジェブツンダンバもダライ・ラマと同様、代々生まれ変わって、8代目になった20世紀に革命が起こりました。8世は1911年にモンゴル人から君主に推戴されて、清朝から独立を宣言し、ボグド・ハーンと呼ばれました。この人が1924年に死去したあと、首都の名前はウランバートル(赤い英雄)になり、国名はモンゴル人民共和国になったのです。


この絵は20世紀初めに書かれたものです。右下が売買城で、左がガンダン寺、真ん中のお堂を丸く囲んだ塀の中はすべてゲルの僧坊です。下には、夏の宮殿と呼ばれるチベット式寺院があります。これは今、ボグド・ハーン宮殿博物館になっています。