2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第10回 宮脇先生 7月1日 8/9
移動僧院から社会主義建設へ:ウランバートル
日本人が引き揚げた後の建物は、東欧や中国からの労働者が仕上げました。それからアパート群は1950年代にソ連の援助で建ちました。社会主義国の首都なんだから、恥ずかしくないようにしよう、ということだったんです。建物はすべてシベリアと同じ集中暖房です。一年の半分は、首都の外れにあるものすごく大きな工場で24時間お湯をつくり、地下のパイプを通してすべての建物のすべての部屋の壁にお湯を流します。お湯が来なかったら死んじゃいます。零下30度ですから。ウランバートルはソ連が作った近代都市です。

7.民主化後のウランバートル
1989年末からモンゴルでも民主化運動が始まり、ソ連が崩壊したあと、1992年にモンゴル人民共和国はモンゴル国と名前を変えました。ソ連の援助がなくなったモンゴルは、外貨がなくて一時本当に困りました。日本が一番の支援国になって、インフラを援助したんですが、地方都市では、コンクリートの建物に全く暖房が来なくなりました。それで、みんなゲルに住みました。ゲルだったら、何か燃やしたら生き延びられるわけです。
首都のウランバートルの人口は、1991年までは60万人くらいだったのが、民主化後、地方で食べられない人がどんどん集まってきて、今は100万人を超しています。カウントしていない人を入れたら、人口の半分以上がウランバートルに集まっているわけです。そういう人たちはもちろん、集中暖房のあるアパートには住めません。塀で囲ったゲル地区が街のまわりに増えていっています。もちろんお湯は来ないし水道もない。井戸を掘って、石炭を焚くので、車の排気ガスと併せて、首都の空気はすごく悪くなっています。
ウランバートルのストリート・チルドレンは、マンホール・チルドレンと呼ばれます。冬、郊外の工場から各建物にお湯を流す、大きな土管の通る地下道だけが暖かいんです。それで、地下にもぐってお湯の側で暮らす。でも、古いパイプからお湯が噴き出して火傷したという話もあります。怖いし可哀想です。
社会主義時代は商売をしてはいけなかったので、百貨店が一つあっただけで商店はなかったんですが、民主化後、アパートの1階がみんなお店になりました。社会主義時代は税金を取らなかったので、モンゴル人は税金の仕組みを知らなかった。日本人が教えに行ったんですけど、モンゴル人は税金をなかなか払わないのね。そうすると、税金を払わない店のある建物にはお湯を流さないの。下の商店が税金滞納すると上の部屋にお湯が来ない。