2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第10回 宮脇先生 7月1日 9/9
移動僧院から社会主義建設へ:ウランバートル
ウランバートルホテルという老舗のホテルの前に、今もレーニン像が建っています。小さいホテルですけど、今でも格が高い。なぜなら、入り口で来た人をチェックするから、泊まるのに安全だと聞きました。旧ソ連領以外でレーニン像を残しているのはウランバートルだけだそうです。理由は、レーニンは四分の一モンゴル人だから。モンゴル人といっても、西モンゴル族のカルムィク人で、ロシア連邦のヴォルガ河畔に共和国があります。新疆ウイグル自治区の北部にも同族がいて、チンギス・ハーンの男系子孫じゃなくて、女系子孫なんです。私は彼らの歴史の専門家で、『最後の遊牧帝国』(講談社選書メチエ)という本を書いています。モンゴル人は、スターリンにはほとんど感謝していないけれど、レーニンのおかげで自分たちは中国から離れて国を作ることができたと、今でも感謝しています。レーニンは小柄で、ちょっと色が黒くて、ヨーロッパ風ではない顔をしていますよね。ロシア人には実はアジア系の血が濃く混じっているんです。
ウランバートルには鉄道の駅もありますが、北京からモスクワに行く国際線がモンゴルを通っているというだけの話です。モンゴル人は鉄道には興味はないけど、もともと移動するのは好きだから、車は大好きです。最近のウランバートルは車が増えて、空気も悪くなりました。山に囲まれている盆地だから、空気がよどむんです。
でも、ウランバートルから車で30分も走れば大草原に出ます。モンゴル人は、街には我慢して住んでいると思っています。本当は草原のゲルに住むのが一番の幸せ。なので、夏休みに私たちがウランバートルに行くと、大学教授も政府の役人も会社の社長も誰もいない。みんないい空気を吸いに田舎に行っちゃう。「馬乳酒を飲みに行ったよ」って言われます。モンゴル人にとって、街は今でもそういう場所なんです。だから、朝青龍が温泉治療に行って、キャンプして遊んでる、なんて日本人記者は悪口を書いたけど、街を一歩出たら、キャンプするしかないんです。これで、モンゴルの都市の話は終わります。

P1 現代モンゴル地図 出典:宮脇淳子『モンゴルの歴史 遊牧民の誕生からモンゴル国まで』刀水書房、2002年
P2 撮影:杉山晃造
P3上 撮影:宮脇淳子
P3下 撮影:大塚知則
P4 帝国地図 出典:宮脇淳子『モンゴルの歴史 遊牧民の誕生からモンゴル国まで』刀水書房、2002年
P6上 P. S. Pallas, Sammlungen historischer Nachrichten uber die mongolischen Volkerschaften, St.Petersburg, 1776-1801.
P6下 ジュグデル作、1912年のウランバートル鳥瞰図、ボグド・ハーン宮殿博物館蔵(撮影:杉山晃造)
P7上 出典:松川節『図説 モンゴル歴史紀行』河出書房新社、1998年
P7下 撮影:西村幹也、スフ・バートル像の後ろの肌色の国立オペラ・バレエ劇場は日本人捕虜が建てたもの。後ろの高層ビルはつい最近建った。
P8,9 撮影:西村幹也