2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第11回 土佐先生 7月8日 10/10
純粋都市への欲望と挫折:ソウル
ここまでソウルが突っ走ってきた発展の軌跡と、それがどういう一般的な風景を作り出してきたかという話をしましたが、最後はそういうものに対する逆向きの運動も少し紹介して締めくくりたいと思います。
これでいいのかという反省は、もちろん韓国のなかにもあります。反省が生み出した代表的な試みの一つとして、清渓川(チョンゲチョン)の復元工事があります。先ほど点線で示した川のことですけれど、なぜ点線かというと、もう川がなくなってしまっていたからです。昔は生活用水にも使っていた身近な川でしたが、ふさいでしまったのです。これは東京も同じですよね。時代劇をみると船に乗って移動する場面がよく出てきますが、江戸には「東洋のベニス」と形容されるくらい水路が無数にありました。でも、東京として発展するにつれてほとんど全部うめられてしまいました。うちの近くにも玉川上水跡というのがありますが、だいたい"跡"しか残ってません。昔の水路がそのまま残っていたら、東京はもっと美しかったろうなと思いますけれども、ソウルも同じことです。漢江といった大きな川はなくせませんが、小さい川はほとんどつぶされてしまいました。
その代表がこの清渓川です。大雨があったりするとすぐ氾濫して、それが伝染病の発生源になったりとか、まずそういう衛生問題がありました。浚渫を繰り返したりしていましたが、氾濫による被害を防ぐために、植民地時代からコンクリートで蓋をする工事が始まりました。そしてソウルが大都市として飛躍していく時代に、そのコンクリートの蓋の上に高速道路を走らせてしまったのです。それをまた元に戻そうというのが、今の大統領がソウル市の市長だったときにやったことです。口の悪い人は「あれが唯一の業績だった」という人もいますけど。
これは昔の清渓川です。洗濯したり、下水を流したりしていたころの写真です。次がついこないだまでの清渓川の風景です。最後に今日の姿で、あの高速道路に比べればもちろんこの方がいいに決まっていますけれども、昔の川を復元させて市民の憩いの空間を作り出したわけです。今までずっと環境とか、人間的な空間をどう作り出すかという配慮よりは、とにかく発展というものをひた走ってきたソウルが、ちょっと昔を振り返るといいますか、そういう反省作用から生まれてきた風景です。

これは一つの目立った例ですが、「伝統的な」家並みや街並みを再生させたり、町工場を若いアーティストのグループがアトリエにしたりといった例もありますし、目立たない例まで含めれば、都市を人間的な空間へと再編成させる試みは無数にあります。これからも開発至上主義的な力が都市を造形してゆく大きな動きが止まることはないでしょうが、それにあらがい、押し返す試みも無視できない力を帯びつつあります。
これから10年後、20年後、あるいは100年後のソウルはどうなっているでしょうか。先ほどお見せしましたけれども、100年前の南大門から今の姿というのは絶対に想像できないわけです。そういう意味では、私も100年後のソウルは全く想像ができません。複数のせめぎ合う力の中でソウルがどう変貌してゆくか、期待と不安がない交ぜになった気持ちでこれからも見続けてゆきたいものです。