2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第11回 土佐先生 7月8日 2/10
純粋都市への欲望と挫折:ソウル
そういう歴史の流れをみていくときに、ソウルの中でどんな動き、変化が見られたか。一言でいうと、南へ伸びていく線が非常に大事になってきます。これはソウルの映像ですが、南山(ナムサン)という、今のソウルのちょうどへそのようなところにある小高い山の上にナムサンタワーがあるんですけれども、これはそのタワーから北に向かって見た風景です。これでは見にくいかもしれませんが、右上のほうに青瓦台(チョンワデ)という大統領府があり、その前に景福宮(キョンボックン)という王宮が見えます。青瓦台の北方には山が見えますよね。これを北漢山(プッカンサン)といいますが、北の方はこれ以上行けないという、そういう地理的な構造になっています。これは同じところから南側を眺めたところですけれども、これが先ほどお話した漢江という川です。こちらの方向には、高く遮るようなものがないわけです。そうすると、地理的に一目瞭然なんですけれども、ソウルは南の方に伸びていくしかないわけです。

これはソウルの地理を非常に単純化して示したものですけれども、今の南山からみた北の方に王宮、景福宮というものがあって、この都というのは京都と同じで風水学的な考えに基づいて築かれた都ですので、京都もそうですけれども北のほうに山があって、南の方に水があるという、そういう似たような地理構成になっています。そして、ここの南側に漢江とよばれる川がありまして、漢江の南ということで、川の南のことを江南(カンナム)といいます。川の北ということで、旧市街のほうを江北(カンブク)といいます。漢南と漢北、これが今のソウルの地理的構造を支える非常に重要なコントラストです。
あと、ちょっと頭に入れておいていただきたいのは、昔の王宮というのは城壁で囲まれておりました。江戸はそうじゃなかったですけれども、世界的にはだいたい都市というのは城壁で囲うものですから、その城壁の門が今でも残っていまして、南の大門で、南大門(ナムデムン)ですね。それと東の方の東大門(トンデムン)。もちろん北と西にもあったのですが、それはあまり重要ではなくて、とりあえずこの2ポイントを覚えていただきたいと思います。それと、中間に位置している明洞(ミョンドン)という繁華街と東西に貫く鍾路(チョンノ)という大通り。これもソウルの全体図を知るのにポイントになってきます。あと最後にちょっとお話するつもりですけれども、清渓川(チョンゲチョン)という川もポイントになってきます。とりあえずこのくらいが頭に入っていると、ソウルの全体像というのは非常に理解しやすくなります。清渓川という川がなぜ点線かということも後でお話します。