2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第11回 土佐先生 7月8日 3/10
純粋都市への欲望と挫折:ソウル
繰り返しますと、ソウルは南北という軸、これが非常に重要になってくるということです。ただし、これが時代によって同じ南北でも軸をずらしてきました。
まず日本によって植民地支配された時代がありますが、その時代には鍾路と本町、これが今の明洞にほぼ重なりますが、そのコントラストが重要になってくる。解放後は漢江の北と南。これが重要な軸になってきます。そうして軸をずらしながらも、ソウルという都市はどんどん一方通行で発展の道を駆け上ってきた、そして今そのピークにあるわけです。その発展を人口の面で確認いたしますと、グラフでこんな感じになります。もともとは10万人くらいの町ですね。それが日帝時代に入って、100万を超えるような町になっていって、さらに爆発的に人口増加がみられるのは1960年代に入ってからということです。そして、1990年代に一つのピークを迎え、1,000万を超える大都市に成長した、これがソウルです。

ソウルはひたすら発展してきたわけですけれど、どういう形で発展してきたか。それは、一言でいいますと、豊かになる一方で伝統を踏みつぶすといいますか、踏みにじる形で発展してきたと要約できます。これは伝統的な韓国式の家屋ですね。韓屋(ハノク)といういい方をしますけれども、こういうのが全然残っていないわけではありません。ただ、ビルの隙間にたまに残っていることはあるけれども、今ソウルの町で特別な保護区のようなものを除いて、こういうものを見ることはまずできないですね。それが今のソウルというところです。ちなみに、この韓屋も、写真を撮った数年後に相続にともない打ち壊されてオフィス・ビルが建てられました。
現代のことをいきなりお話しましたけれども、もう少し歴史を振り返ってそのプロセスを確かめていきたいと思います。
先ほどもちょっと触れましたが、ソウルというのはもともと、1394年に朝鮮朝という時代が始まるわけですけれども、それにともない作られた都です。江戸時代は300年平和な時代が続きましたが、朝鮮朝ないし朝鮮時代と呼ばれる時代は、500年続いたわけです。これだけ一つの時代が続いたというのも珍しい話です。朝鮮朝がはじまったときに王都、王の都として風水地理説に則って造られたのが今のソウルの原型です。ただし、その時の首都というのは、せいぜい10万人くらいの規模を想定して造られたということです。