2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第11回 土佐先生 7月8日 5/10
純粋都市への欲望と挫折:ソウル
これが朝鮮総督府です。非常にいかつい、見るからに権力の象徴というような建物です。これがその当時のソウルの中心です。次はその当時の風景の写真ですけれども、いかにも全体を睥睨しているというか、偉容を誇っているのがこの朝鮮総督府で、その手前がおそらく朝鮮銀行だと思いますけれども、その2つが目立った近代建築ですよね。見ておわかりになると思うんですが、日本的な家屋がたくさん当時は建てられていた。今はほとんど残っていません。これは北側に向かって撮った写真ですけれども、見えませんが、この裏にさっきの王宮があるということです。この朝鮮総督府というのは、王宮をふさぐような形でここに鎮座していたということで、これが物議をかもしだすわけです。もともと漢城という町は、風水地理に則って造られた町なので、日本の陰謀で、その風水を断ち切るためにわざわざここに建てられたというのです。さして根拠のない話のようですが、今でも韓国でそれを信じる人が少なくありません。我々がみても、いかにもですよね。何もこんな王宮の正面に建てなくてもいいのに、というところに建てちゃったわけです。
次は、当時の典型的な町作りのコントラストです。日本はソウルを発展させるために膨大な投資を行って、計画的な都市計画に基づいて発展させたと申しましたけれども、その中にはどうしても最後まで打ち崩すことの出来ない差別というものがありました。日本人と朝鮮人という溝は最後まで乗り越えられなかった。それが町作りにも如実にあらわれていまして、いわゆる日本人街、日本人が住む居住区と、朝鮮人が住む居住区というのは完全に違う町でした。左が今の明洞に近いところで、日本人の繁華街として本町という町がありました。右は鍾路という通りで、こちらは日本人がほとんど出入りしない朝鮮人町として栄えていました。見るからに建物の様式からファッションから何から全部違います。
特徴的なのは、朝鮮家屋というのはラインが波打つような感じなのに対し、日本の家というのは直線なんです。普通の日本の家屋というのは屋根も直線なんですけれども、朝鮮風の家屋というのは曲線。それで日本は直線で、朝鮮文化の特徴は曲線だということで、当時もそういう文化論みたいなものが盛んにありました。ところが、こういういかにも伝統的な朝鮮家屋はその後どんどん消えてしまいます。それは日本の植民地支配によって消えたというよりは、解放後の経済発展の過程の中で消えていったということです。