2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第11回 土佐先生 7月8日 8/10
純粋都市への欲望と挫折:ソウル
ご存じの方も多いと思いますが、去年(2008年2月)南大門が焼けてしまいました。これは総督府を政治的意図によって解体したというのとは全く異なり、たまたま権力に不満を持つ人がいたずら半分で放火したということです。
ただ、最初はすごく小さい火で、うまくやっていれば簡単に消し止められていたという程度だったらしいんです。それが、消防隊が国宝第1号ということで、普通の消化剤を使うことに躊躇があって、それで結局全焼してしまったというのですから、大悲劇です。ですから、アクシデントといえばアクシデントですけれども、これも私にはソウルという町がいろんな形で昔の面影をなくしていく一つの象徴的なエピソードに思えてならないのです。これから何十億円というお金をかけて復元するらしいんですけれども、今は周りが覆われていて入れないようになっています。
私も訪れて写真を撮ってきましたが、ちょうど人が死んだときの感じですよね。遺影みたいな感じで昔の南大門の写真が掲げられていて、花束を捧げたりですとか、寄せ書きもすごいですね。人がひきもきらずに来ては、記帳をしていったり、寄せ書きをしていったりという、哀惜の念をもっている人が多いという印象を受けました。たとえ門そのものは復元できたとしても、昔のソウルの面影を取り戻すことはもう無理だと、あらためて感じずにはいられません。

古いものが無くなるのは仕方がないことかもしれないんですけれども、それがソウルの繁栄の別の側面です。先ほど南と北ということを申しましたけれども、川の南側が江南という地域で、こちらは高層アパートが非常に多く、近代的なライフスタイルの舞台になっています。日本でいえば八王子とか、あるいは幕張とか、そういうところを彷彿とさせる空間です。こちらが韓国、ソウルの新しいライフスタイルのセンターだといえます。北の代表の明洞ですが、昔は日本人街があったところですけれども、今では若者のファッションスポットといいますか、日本でいうと原宿とか渋谷とか、そういう感じのエリアになっています。こっちはこっちで、もちろんにぎやかな繁華街になっていますけれども、今やソウルの中心というのは川の南のほうにどんどん広がっているということです。
先ほど言い忘れましたけれども、ソウルが北側に広がっていけない理由は地理的なものが一つありますが、もう一つは、ソウルというのは実は軍事境界線から結構近いという事情があります。60㎞くらいしか離れていないので、それ以上はさすがに首都が北に広がっていけないわけです。実際、朝鮮戦争の時には、ソウルは北朝鮮によって一時占領されてしまいましたし、もしもう一度北が攻めて来たときに、それをどこで防ぐかというとこの漢江、川で防ぐわけですね。そこの橋を全部落として、戦車がそれ以上南にこられないようにするということで、ここにソウルが南へと発展していかざるを得ないもう一つの理由があると言われています。