2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第12回 土佐先生 7月15日 3/9
コロニー都市が夢見る理想:香港/シンガポール/ドバイ
もう一つの香港の独自の色彩というのは、やはり食文化ですね。先日、東京に続いて香港でもミシュランのガイドがでまして、東京のランクに比べるとかなり劣っていたということで、香港の人は非常にショックを受けていました。しかし、ああいう星がつくようなレストランというのは、日常的な食の豊かさとは実はあまり関係がないですよね。我々は二つ星、三つ星のレストランに、年に何回行くのかということです。日常的に通うようなレストランの水準でいえば、私からみてもやっぱり香港のほうが圧倒的に豊かです。この3つの都市の中でもずば抜けているのではないかと思います。ただし、圧倒的に中華料理なので、好き嫌いがあるとは思いますが。いずれにしても、この3つの中ではもっともカラーがはっきりした町だと思います。
簡単に香港の町の概況をまとめておきます。あれだけの密度の高いビルが詰まっていますが、面積は東京都の約半分にすぎない。人口も、半分ちょっとですね。700万人くらい。そして、もともとここは移民の町ですけれども、民族別でみると、95%は漢民族ですから、中国本土とあまり変わりがないということです。ただ、漢民族といってもいろいろありますけれども、ここはほとんど広東系の人々です。ですから、言葉も、最近中国に復帰して北京語、マンダリンが普及し始めていますけれども、庶民の言葉は相変わらず広東語が主流です。英語も公用語ですけれども、ほとんど通じないですよね。英語でいうよりは日本語でいったほうが通じるかもしれない、というくらいの感じのところがあります。一人あたりのGDPはほぼ3万ドルで、アジアの中でも非常に豊かな町です。地理的には、香港島と九龍といわれるところが、もともとの香港です。それを取り巻くニューテリトリーズといわれるところも含めて香港ですけれども、今は中国に返還されて、近くの深圳という地域も、非常に香港に近い発展を遂げている、中国の発展にとって一つのハブになっているという地域です。
もともと香港というのは、19世紀の末までは数千人の住民しかいなかったところです。イギリス軍が占領することで、香港島は1841年にイギリスに永久割譲され、1860年には北京条約で、九龍半島もイギリスに割譲されたという経緯です。その後ニューテリトリーズもイギリスに租借されていって、イギリスの植民地支配のもとで発展を続けていきました。ただし、その途中で、次にお話するシンガポールもそうですけれども、日本の占領の時期が挟まっていて、両方の都市で日本に対する悪い感情を生み出しました。先週お話した韓国とか台湾の場合は、数十年にわたって植民地支配が続いたので、悪い面もたくさんありますけれども、建設したり近代化した上でのプラスの面も否定できませんが、香港とかシンガポールの場合は本当に短い時間ですね。1941年から1945年、4年に満たない期間を軍事的に占領しただけですから、その時期の歴史は悪い感情を生み出しただけです。
当時人口が160万人くらいにふくれあがっていたんですけれども、日本に占領されるやいなや100万人くらいが逃げちゃうんですよね。そのくらい拒否感があった。しかし、1945年にまたイギリスの植民地に戻って、その後も順調に発展を続け、輸出主導型の製造業を育てていくことで、1980年代くらいから「アジア四小龍」といわれた発展センターの一つとして栄えるわけです。ちなみに「アジア四小龍」というのは、次にお話しするシンガポールと香港、韓国、台湾です。