2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第12回 土佐先生 7月15日 4/9
コロニー都市が夢見る理想:香港/シンガポール/ドバイ
1984年には中英共同声明が出され、香港は1997年に返還されることが決まりました。その後、日本に占領された時期に住民がどんどん外に出て行ったように、80年代以降は移民ブームがずっと続きました。ただし、完全に逃げ出す人はそんなに多くなくて、両方に籍をおきながら様子をみていくような人が多かったようです。機を見て、香港が暮らしやすければ香港に戻る、やばそうだったら逃げる。そういうライフスタイルが香港では身についたものになっています。そして、1997年に中華人民共和国の特別行政区として返還されましたが、「一国両制」という政策で50年間は共産主義を入れないという約束でやっていまして、実際に今日でも香港だけ特別ですよね。中国とはかなり違う感じの社会を実現しています。
そういう中で、香港人意識みたいなものが作られてきたといえるのではないかと思います。香港人意識とはどういうものか、中国人意識とどう違うかといいますと、基本はやはり移民としての意識です。もとはみんなよそ者で、香港に逃れてきた人々ですから、本土の中国に対しては、ある種の距離感をずっと持っているわけです。特に中国の大きな政治的混乱ですとか破壊には、非常に拒否感を持っている人が多いですし、返還後は中国人意識がだんだん生まれてきたとはいいますけれども、それでもちょっと違う。距離をおいている。一方で、前は拒否感がありましたけれども、むしろ今では日本に対して親近感を持っているという人も増えている。自分たちの暮らしそのものは、中国よりも日本に近いと考えている人が少なくないということですね。
もう一つは、結局自分たちの運命というのを自分たちで決められないという意識です。イギリスの植民地としてずっときたわけですし、それが返還されるという非常におおきな決定に対して、自分らは全く何の影響力も行使できなかったわけです。完全に頭ごしに決められた。そういう中で、今でもどこかをさすらっているような、移民という意識が香港人意識を作ってきたというふうにいえます。そして、そのことからくることですけれども、ある種の非常に現金な感じや、機会主義的な傾向がありますし、ある種、醒めた意識があるといえるでしょう。
しかし次のシンガポールやドバイとの比較でいいますとはっきりするんですけれども、香港人というのは政治意識は弱くありません。メインランド寄りのメディアもありますけれども、今でも報道の自由というものもまだ生きていますし、3つの都市の中では一番自由がある町です。ただし、大きな政治というのは大きな権力がやってきて決めてしまって、自分たちは蚊帳の外という意識がずっとあるので、そういうことに対する醒めた意識というのがあるのではないかと思います。

次はシンガポールの話にうつります。シンガポールもやはり昔は非常に貧しい地域でした。ほんの小さな漁村に過ぎなかった。19世紀の初頭まで、シンガポールの周辺には150人くらいの漁民しか住んでいなかったと言われていますが、それがどうやって今日のシンガポールになったかということです。
まずは今日のシンガポールの概観を紹介いたしますと、面積は香港よりもさらに小さくて、東京23区くらいの面積です。そこに約500万人が住んでいます。しかし、労働者としての移民が非常に多いので、永住者としては364万人というのが2008年の数字です。民族構成は、香港に比べるとかなり多様です。やはり中華系がほとんどで75%ですが、香港の95%という数字に比べるとかなり落ちます。ただし、同じ中華系といいましても、香港の場合は広東系ですが、こちらは福建系の中国人が多い。その次にマレー系が多い。マレーシアのすぐ隣ということで、マレー系が15%。そしてインド系も多く9%いるという構成です。国語はマレー語ですけれども、公用語として英語が非常に広く普及しています。それ以外に中国語、タミル語も公用語として通用している多民族社会です。一人あたりのGDPは、もう日本を追い越して、3万7千ドル以上という非常に豊かな社会です。マレーシアとつながっていて、自立できない都市国家だという特徴も無視できません。水一つをとってもマレーシアから供給をうけていて、もし戦争でも起きたらあっという間にやられてしまうという、そういう地政学的な位置にあるところです。