2009年度 世田谷市民大学 連続講義


「現代アジア都市の肖像」

第12回 土佐先生 7月15日 5/9
コロニー都市が夢見る理想:香港/シンガポール/ドバイ
シンガポールの歴史を簡単にお話いたします。ラッフルズという名前をどこかで聞いたことがある方は多いと思いますけれども、ラッフルズ・ホテルというのが今でも残っていますよね。シンガポールというのは、東インド会社の職員でもあるトーマス・ラッフルズがひらいた町です。それまでは一漁村に過ぎなかったところが、ラッフルズの都市計画によって都市になっていくわけですね。1819年に上陸したということになっていますけれども、1824年に正式にイギリスの植民地になります。それまではジョホール王国の一部でしたが、それをラッフルズが地域の王同士の相続争いとを利用して自分たちのものにしてしまったということのようです。上陸してからわずか5年で人口が1万人まで増えていって、その後も順調に貿易港として栄えていきました。
ここも香港と同じように、1942年に日本軍に攻撃されて、1945年まで占領されていた時期があります。軍政ですから、地域に日本に対する悪感情のもとを残しました。日本が入ってきたことでマレーシアは「昭南島」ということになりましたし、先ほどの香港なんかでも通りの名前とかを全部変えてしまいました。1945年に日本が去りましたが、すぐ独立にはならなくて、一度イギリス領に戻った後、1963年にマレーシア連邦として独立しました。ここがシンガポールらしいところですが、シンガポールとしては、実はマレーシアの一部でずっといたかった。それまではイギリスの植民地ですし、この小さな島ではとても自立は出来ないから、マレーシアの一部でいたいというのが望みだったんです。しかし、大きな紛争とかがあって、最終的に1965年にマレーシア連邦から追い出されるような形で独立しました。
当時はリー・クアンユーがシンガポールの首相ですけれども、独立が決まったときに「バンザイ」を叫ぶのではなくて、泣いて悲しんだといいます。リー・クアンユーというのは非常に個性の強い政治家で、人前で涙を見せたのは2回だけだといわれています。その1回がこの時で、独立したときに泣いた。もう自分たちの運命は終わったと思ったんでしょうね。もう1回は今から10年くらい前に、シンガポールから外国籍を求めて脱出する人が後を絶たないことを嘆いて泣いたといわれています。
そのリー・クアンユーが所属している政党が人民行動党という政党ですけれども、その基本は生き残りのイデオロギーといわれるものです。それは、野党を許容しない1党独裁、自己犠牲の強調、能力主義といったものを前面に押し出しながら、国際舞台で勝ち残ってゆくための方策です。リー・クアンユーに言わせれば、こういう小さな国が世界の競争の中で生き残っていくためには、言論の自由であるとか、そんな悠長なことを言っている余裕はないんだと。我々は痩せて健康的でいるか、もしくは死ぬか、そのどっちかしかないんだというわけです。それが生き残りのイデオロギーです。
先ほども言いましたが、外から見ると非常に規制とか管理がきつい社会ですよね。シンガポールの町というのは、まず行きますと、非常に整然としていて、香港から老朽化した汚いアパートを取り去ったらシンガポールになるといってもいいくらいです。モダンな高層ビルばかりが林立していて、それも綺麗に手入れされている。「アジアで最も美しい国」といういい方がされたり、「Green and Clean」、緑にあふれていて清潔な町、そういうキャッチフレーズもよく使われます。これは自然に出来上がったというよりは、人民行動党によって意識的に作られた都市空間ですよね。シンガポールの特徴としてよくいわれるのでご存じだと思いますけれども、チューインガムは持ち込み自体が禁止されています。道に唾を吐いたり、指定された場所以外でたばこを吸ったりしただけで罰金をとられます。