2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第1回 梶原先生 4月14日 1/10
家族のアジア
家族は、さまざまな機能を持っています。ここでは家族の定義をするよりも、まず「普通の家族」、ご自身の周りの家族を想像していただければいいと思います。なんといっても、家族というのは、その第一の機能が再生産のユニットであるということです。再生産というのはご存じのように、経済的な再生産というのもありますが、子どもを生んで、子どもを育てて、その子どもがまた大きくなって、結婚をして、そして次の世代がまた生まれていくという、人間が再生産されていくことで、家族はその主要な舞台になる、そういう場所であるということです。これには生物学的な側面がありますから、家系とか、あるいは血縁とか、なんとなく家族の間で引き継がれていくDNAのようなものであるとか、そうしたことも当然入ってきます。
2番目は、再生産ではなく、生産の単位でもあります。例えば家族的経営や、伝統的な農業を見ますと、家族が一つの経済的単位である。つまり米を作ったり、麦を作ったりする生産の単位として、家族が共同して農耕を進めていくということは、これまではかなり多くの社会に共通して見られる現象でした。もちろん、家族という狭い領域だけではなく、親族やあるいは婚姻によって結び付いた集団が生産単位となるわけです。

それから、再生産や生産の単位であることから(あるいはその根源に)、家族は法的な単位でもあります。つまり家族は生物的、そして経済的単位であり、3番目に法的な単位でもあります。再生産がただ子どもを生むだけだったら、別に家族を必ずしも要としないかもしれないし、あるいは「正式な婚姻」もいらないでしょう。家族が法的な役割を持つ、別の言い方をすれば生まれた子どもが社会的に、あるいは両親から認知されて、法的な存在として、社会の中の個人として承認されるという過程を従来は踏むことが多かったわけです。明文化された法律がない社会でも暗黙のうちというか、コモンセンスとして、それが認証されるということがありましたので、家族が家族として社会の中で認められる単位であるという意味で、家族は法的な側面を非常に強く持っております。この中には、今申し上げた、嫡出という、今はあまり人気のない言葉ですが、そうした法的な位置づけが深く関係しております。それから、あとでちょっと申し上げますが、法的という意味には、例えば相続とか、継承とか、財産の分配とか、きわめて法的な側面が存在し、こうしたことも家族の存在と大きく関係してまいります。

また、家族というのは政治的な単位となり得るということも、当然よくご存じのことだろうと思います。例えばインドのネルー首相の場合を考えてみましょう。そのお嬢さんのインディラ・ガンディーとか、息子さんのラジーヴ・ガンディー、サンジャイ・ガンディーとか、その未亡人のソニア・ガンディー。もう、その子どもたちも政治家になっていますので、よくガンディー王朝とか、ネルー王朝と呼ばれますが、このように家系や家族が一つの単位になって、政治的「王朝」を形づくるということというのは、これはかなり多くの国でみられます。日本でも、ネルー王朝とは違いますが、いわゆる世襲による政治家の継承がよくみられ、やはり政治と家族の結び付きには極めて大きなものがあるということになろうかと思います。厳密な意味ではありませんが、政治や芸術の家系的な継承をみると、そこにはDNAが家族で再生産されていくという認識もわれわれの中にあるだろうと思いました。

それから、今申し上げましたように、家族の生物学的、法的、政治的な側面それぞれは独立した分類ではありません。どこかで相互に重なりあったりしていますから切り離しにくいのですが、さらに付け加えれば家族というのは社会存在であるということになります。法的に家族というものが正式に認知された場合には、生まれた子どもが社会のメンバーとして認められるということになります。社会的な信用のあらわれとして、お金を借りたり、不動産を取引したりするときに、自分で家族を持っているということには依然大きな意味があります。社会的信用を考える場合に、その方が既婚であるということは、まだまだ大きな意味を持っているということもあります。それから、家族はある種のステイタスともつながっています。家族や家系は「名家」や「名望家」として社会的な、一つのシンボルや、標章として、社会的に大きな意味を持つ瞬間というのもございます。