2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第1回 梶原先生 4月14日 10/10
家族のアジア
同じ南アジアのパキスタンもそうです。歴代、家族的サーガというか、悲劇というか、ブットファミリー対誰それというのはずっと続いて、バングラデシュもそうです。2大家族があって、この間で政権が行ったり来たりするという状況、そこにまた、軍人の独裁が加わるというようなことで、南アジアはほとんどのところで家族政治が行われています。東南アジアはそこまで多くはないですが、やはり名望家族の対立というのは、フィリピンを頂点として非常に強くあります。インドネシアも家族独裁のような形でスハルト一族ということが言われましたし、タイも今また騒いでいますが、タクシン家というほどではないかもしれませんが、やはり家族、それから以前はプラモート一族、ククリット、セニ、こういう人たち、これは貴族的な人たちですが、そういう家族が政治を牛耳るということが続いてきました。
社会主義であっても、いわゆる太子党と呼ばれる、中国共産党の幹部の子どもたちが、次の世代の要職を占めたり、権力を握ったり、あるいは場合によっては汚職とか、そういうものに結び付いているとよく言われています。
そうすると、政治に限りませんが、歌舞伎もそうですし、お花もお茶もそうでしょうが、やはり家族というものがいろんな面で、技能の継承だけでなく、権力の継承などの面で分かりやすい形をわれわれに提供しているということもあり得るのだろうと思います。
その典型的な例が、やはり何と言っても、王さま、それと王さまの家族という問題だろうと思います。実際に世界中の王さまというのはだんだん減ってきたわけですが、日本の天皇家の話題があれだけ取り沙汰されていることにも理由はありそうです。今のクラウンプリンスに対して批判や擁護が話題を呼んでいます。その背景は、先ほど申し上げた、家族に本質的に存在する世代の対立、つまり相続継承をめぐって、次の世代が、今いる世代をスムーズであれば一番いいのですが、乗り越えていくわけですね。この緊張感が相当、背景にあるのではないかと。われわれの普通の家族の緊張とは違うわけで、王さまとなると、やはりそこで王制を研究した歴史家や社会学者、政治学者がこぞってテーマとした、いわゆる「王殺し」の問題があります。これは父系社会の場合ですが、息子が父親を殺すことによって、次の代に上りつめていくと。もちろん一般家庭でこれをやっているわけではありませんが、象徴的な意味で、何らかの意味で、禅譲の場合もあるでしょうが、父が経営していた会社が傾いて、息子がやり直すとか。反対もあるでしょう。息子に譲った会社が傾いて、父親がまた出てくるという会社もあります。代替わりの緊張や対立は程度は違いこそ、王家から一般家庭までひろく存在するといってよいのかもしれません。ですから、家族というのは、さっき申し上げたように仲良く団らんというイメージがあって、それはそれで尊重すべきでしょうし、大事なことですが、本質的に、世代が変わるとか、財産が動くというときには、必ず対立の要素が出てくるのです。ですから、非常に怖いものなのです。家族は暴力と無縁だと思っているほうが、わたしは間違いではないかなと思います。本質的に家族というものの性格の中には、極めて凶暴なというか、これは家族そのものが悪いとかそうではなくて、それは家族というものが先ほど申し上げましたように、経済的にも、法的にも、政治的にも、非常にいろんな面で重要な役割を果たしているからそうなるということでもあります。家族とは、身近な人間がナマのかたちで人間関係のヤミに潜む、暴力的で辛らつで、人間のある種の暗黒を見せる場ともなりうるというお話をして、本日の終わりとさせていただきます。