2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第1回 梶原先生 4月14日 3/10
家族のアジア
たとえば、祖父母と孫の関係について、イギリスの社会人類学者ラドクリフ=ブラウンがこういう言い方をしています。この関係を"Joking Relation"と位置づけています。「冗談関係」と訳してもしようがないのかもしれませんが、親と子の間は、利害、対立、感情的対立が激しいわけです。非常に仲良くいく場合もありますが、親と子というのは直接に連結する世代で、親が年老いてくると、子どもが跡を継いだり、交代したりするわけです。そこにどうしても緊張関係、別に親子が全部、仲が悪いわけじゃありませんが、どこかしら緊張関係を含むわけです。家族の中で、血縁ではありませんがなかなか嫁に財布を渡さないようなこともあり、また血縁の父親と息子でも世代交代をめぐる大きな緊張があります。それにくらべると、1世代あく場合、お孫さんに対しては利害は超越して、自分がもう引退して、家督の権限を息子に譲った後で気が楽というのもあるのかもしれませんが、そこでは、冗談を言い合えるというか、お互いに直接の利害の対立ではない関係を結ぶことができます。これは非常に重要な関係だということを、ブラウンはいっています。ですから、多世代が同居するという意味は、親子だけだとそこでとげとげしくなるが、そうでない部分もあるということになろうかと思います。
それから、非常に大きな家族になりますと、今度はおじさんとおいとか、おばさんとめいとか、自分の父親の横のラインも含まれます。おじとおいは結構、仲がいいわけです。お父さんは厳格で怖いけど、おじさんはちょっと遊び人で面白くて、悪いことはおじさんに教わるというのはこれまでは世の中でよくありました。私もその例外ではありません。おじだと気楽で、困ったときに相談に乗ってくれるとか、ちょっとお金を貸してくださいとか、そういうことが言えるのですが、父親にはそうでない場合も多いでしょう。孫が可愛くてしょうがない、という感じの背景にはこんなことが存在しています。

さて、結婚によって子どもが生まれて、その子どもが育っていって、また次の結婚がやって来て、次の世代が生まれていくというお話をしましたが、家族というのはどんどん発展していく、発展していくというのは必ずしも大きくなるという意味ではありませんが、変化する一つのサイクルであるという認識もよく行われております。
現在の社会的状況や、社会の大きな移り変わりを反映して、高齢化時代の家族問題が、さまざまなかたちで取り上げられております。先ほどの「おひとりさま」もそうですが、わが家もそうなっております。子どもたちが独立して出ていくと、今のところ二人ですが、家族のかたちが夫婦二人きりになってゆきます。これがもう少しすると、一人になるということが、どうもわたしの予感では自分が先立つ予感をもっていますが、そういうこともあります。
さきほど申し上げました、相続、継承というのも、家族にまつわる話題としては極めて大きい。これは法的な問題でもあるということをお話しいたしました。単なる言葉の問題ですが、相続というのはご存じのように、財産が次の世代にわたっていく、あるいは横に広がっていくということで、継承というのは地位をめぐるものです。ステイタスとか、地位が、例えば当主とか、家長とか、このごろはあまりそういうのははやりませんが、こういうものが受け継がれていく、そういうことも家族を語る場合にいつも大きな話題として語られます。日本社会では、均分に分けて相続するということが恐らく、かつてに比べると、ずっと一般的になっています。私の場合ですと、姉一人と私ですから、なにごとももう単純明快、真っ二つという、半分で、非常に二人だと簡単になっています。しかしながら、相続の仕方については、社会によって傾向があるわけです。例えば日本社会のように従来、長男、あるいはもう少し広く考えると、男には限らないのですが長子が大部分を相続するという社会と、その反対に、末子が大部分を相続するという、大きな違いが社会によってあります。