2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第1回 梶原先生 4月14日 6/10
家族のアジア
インドの、先程申し上げた、ナヤールという社会があります。ナヤール社会は母系なのです。しかも母系で、一妻多夫婚。奥さん一人で、夫が複数ということです。夫は、その場合、多くは兄弟。これはどうしてかというと、今はもうないのですが、かつてナヤール社会というのは非常に不安定で、周辺の社会と争いの多い社会で、男性の死亡率が極めて高かった。そうすると、例えば、何と言っても労働の問題を考えると、当時ですと働き手としての男が重要なわけですから、働き手が急に戦いで死んでしまった場合に、その家族というのは大打撃を受けるということで、社会的な相互扶助もないわけではありませんが、一番手っ取り早いのは、男は消耗品で死ぬものだと。一人ではなくて、複数置いておこうという合理的な方法が採用されたわけです。ただ、周辺にたくさん男の人がいるということではなくて、別居しているのです。ですから、女の人は自由と社会的保証と、いずれも獲得できるという意味では賢明な社会といってもいいでしょう。

この構造的な問題として、もう少しお話をしておいたほうがいいでしょう。ナヤールは一妻多夫ですが、近代ヨーロッパがつくり上げた家族像というのは、一妻一夫、一夫一妻。そして、それが、もう少し後の時代に、いわゆる家族の一番コアになるというか、単純な形の、親がいて、子どもがいるという核家族が主流になったわけです。実は考えてみると、厳密に調べたことはないのですが、日本社会でも核家族が主流になった時期というのは比較的最近ですし、そんなに長い歴史を持っておりません。核家族化が進んだというのは戦後のことだと言っても間違いではないと思います。ヨーロッパはもう少し長い歴史、アメリカもそうです。と言ってもやはり、ある人類史上の長い時間で見たら、ほんの最近でしかないわけです。
これに対して、核家族とは異なった家族の形態はさまざまです。拡大家族という用語があります。拡大家族というのは、核家族より世代深度においても、同世代の横の拡がりにおいても規模が大きく、多様な家族を指しています。また、複合家族といういい方もあります。ようするに、核家族というのは家族のバラエティの中のごく一部であり、これが標準的とみなされるようになったのはごく最近であり、また地球上すべてではありません。

例えばアメリカ社会というのは個人主義的で個人が独立していて、家族の形態も核家族であるという「常識」があります。子どもがちょっと大きくなったら独立していなくなってしまうというのが、通俗イメージのアメリカの家族だと思います。しかし、アメリカ社会の離婚率というのはかなり高く、そうすると、子連れ同士が再婚するということは極めて頻繁に起こります。それから、再婚した子連れ同士がさらに養子をもらう。カンボジアがかわいそうだから、養子をもらうという人も決して少なからずいます。そうすると、現在、アメリカの家族の結構な割合は核家族ではありません。必ずしも二人だけの連れてきた子どもではなくて、どちらかのパートナーとまた別のパートナーとの間に生まれた子どももそこに入ったりするわけです。そうしますと、実は、ヨーロッパ、アメリカ的な近代の一妻一夫の核家族というイメージが、現実として複合家族のほうに近づいているといってよいかもしれません。つまり、家族が、ある種の先祖がえりをしているというのでしょうか、近代家族としてイメージの上でつくり出したものが、現実はそうはならなくなった。これは、別に退歩ではなくて、むしろ進歩といっていいのかどうか分かりません。実は近代は家族のイメージを非常に狭い、単純、均一なものにしてしまったのです。家族の本来的な存在する仕方というのは可能性としてはいろいろあるわけで、自然というか、そっちに戻っているのではないかということが、アメリカの家族を見ていると、時々感じられます。