2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第1回 梶原先生 4月14日 7/10
家族のアジア
「家族のアジア」というタイトルが本日はついておりますので、ではなぜそんなタイトルにしたかということを、これから少し付け加えてお話をさせていただきます。
今、お話しした近代社会、あるいは近代というものが、われわれに教えた家族のイメージというものにのっとって、われわれも多くの場合、家族を考えているわけです。ですから、妻一人、夫一人で、子どもがいて、その2世代が同居をしているものが、標準的な家族であると。そのイメージとともに、例えば、一家団らんとか、家族がそろってご飯を食べるというのが標準的なイメージになっています。私の場合もつい五日ほど前に約束を破って、なかなか家に帰らなかったら、これは家族というか二人ですが、「あなたは一緒に食事をするという厳粛な約束に違反した」といって、1時間半、家に入れてもらえなかったのです。
一家団らんなど現実化したものは、たかだか100年あるかないかです。働いていれば、家族というのはもともと農家でも一緒に食事をしないのです。朝早く畑に行って、帰ってきた順にご飯を食べて、ちょっと休みたい人は休むし、また次は別の仕事が待っていますから出かけていってしまう。そうすると、なにかダイニングキッチンのテーブルにみんなが並んで食事をする光景などテレビがやっているだけで、働いている家というのはそんなことはなかった。商売をやっている家では、そんな悠長なことを言っていられないわけですから、あり得ない。ところが、それがこの何十年か、あるいは少し多目に見ても100年、200年はないと思いますが、そのときに、家族というものはこういうものですよと。一緒にご飯を食べて、いつも一緒に何かお話をして、テレビを一緒に見て笑っていると。あり得ない話なのですが、そういうことができてしまう。
ですから、今回のそもそもの話は、アジアといっても家族は非常に多様だと。いろんな可能性があるということが、それぞれのお話の中で出てくると思います。ただ、アジアと家族の結び付きということは、やはりひとつ最初に考えておいていいのではないかと。これは、先ほどから何回か言っておりますが、ヨーロッパ、あるいはアメリカの近代が、家族というものを形をつくり出して、アジアもそれを近代の理想として、われわれも追いかけてきたわけです。あるいは、ヨーロッパが近代の家族の理想像をつくり上げる背景には、アンチテーゼとまでは言いませんが、さっき言いましたトロブリアンドもそうですし、ナヤールもそうですが、ここではアフリカももちろん入れなきゃいけないし、南アメリカとか、いわゆる近代欧米から外れたところは全部入ってはくるのです。アジアのアジア性というのですが、アジアの特徴を表すものとして、家族というものが大きな役割を果たしてきた。つまり、ヨーロッパの社会科学において、アジアのイメージというのはかつては遅れていると。未開発であり、無教育であり、無教養であり、遅れていると。政治体制で見てみれば、専制的であると。なにか訳の分からない王様がいたり、暴君がいたりして、ヨーロッパの近代的な議会制民主主義なるものはかけらも分からないと。アジアのイメージというのは、要するにマイナスなのです。ヨーロッパが持っているものを、われわれが持ってないと。あるいは、否定的だったわけです。