2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第2回 梶原先生 4月21日 2/8
家族の肖像
どのぐらい前ですか、10年ぐらい前だったか、アメリカの有名なスキーリゾートで、デヴィ夫人がグラスを女の人に投げつけて負傷させたという事件がありましたが、その相手は、このセルヒオ・オスメーニャの孫娘、ミニー・オスメーニャという人だったという偶然の出来事がありました。そのミニー・オスメーニャというのは、エバミルクとか、ミルクで有名なカーネーションという会社がアメリカのカリフォルニアにありますが、カーネーションの社長の奥さんとなり、社交界の花形の一人でした。どうも名望家出身のミニーがデヴィ夫人の出自のことを言い立て、怒ったデヴィがグラスを投げつけたようです。デヴィ夫人は、その後、しばらく刑務所に入って、確か社会奉仕活動か何かをやらされた記憶がありますが、不思議なつながりがあるものです。
セルヒン・オスメーニャは、今申し上げたようにマルコス時代まで政治家として活躍したのですが、このほかにも彼のいとこ、ジョン・オスメーニャといって、フィリピンで一時期、上院議員をやっていました。やはり反マルコスでした。一族で政治ポストをたらい回しをするわけですが、例えば上院議員の任期が切れると、今度は下院議員に出るとか、逆に親族がセブの市長もやっていたわけですが、その人が、地方市長は多選禁止で2回続くと3回目は出られないというと、下院議員をやっていた一族の者が今度は市長に代わり、市長は今度は上院に出るというような、一族の中で市長、それから上院議員、下院議員、場合によっては地区の市会議員のようなものを奥さんがやったり、だんなさんがどっちか行ったりということをやった一族でもあります。

セブの政界をオスメーニャ家が長らく牛耳っていたわけですが、ただ、セブが完全にオスメーニャ家の支配下にあったということではなくて、もう一つ大きな勢力がありました。セブ市は、セブ島の真ん中よりやや南側にあるのですが、そこから1時間くらい車で北に行きますと、セブ市に比べれば小さな町ですが、ダナオ市という、小規模な産業都市があります。このダナオ周辺を牛耳っている家が、ドゥラノという家族です。この中で一番のし上がった人にラモン・ドゥラノという方がいらっしゃいました。生前、わたしは、何回かインタビューをしたことがあります。このダナオ市がなぜ有名かというと、一つはドゥラノが工業、産業から何から全部、ほとんどを牛耳っていること。大きな産業としてはセメント工場があります。それから、闇の世界とのつながりとしては、密造拳銃です。日本の暴力団がダナオに来て、昔、ピストルを買っていたという話があります。その元締めもこの方でした。ここも市会議員から、県会議長、上院、下院、すべてこのドゥラノ一族が交代で仕切っていました。この一族は華人系といわれています。
ドゥラノと先ほどのオスメーニャ、セブの一番いいポストを巡って、30年ぐらいどちらが勝つかという争いをしていました。ご存じのようにフィリピンの場合、政治的家族は大体私兵を持っているわけです。お金を出して、子分に武装をさせて、政治的な争い、あるいは経済的な利害の対立の場合に、暴力、武力をもって相手を屈服させることがしばしばみられました。実際に、鉄砲をすぐ撃ったりということはそれほどは多くはないのですが、そういう潜在的な力というものを常に示していないと、政治的な力を獲得することができない。あるいは維持することができないということでございます。
最近でもフィリピンのミンダナオ島のイスラム教徒の、スルタンの子孫、その一族がやはり政治家ですが、私兵を使って反対派の選挙運動員を襲撃して、たまたまジャーナリストも巻き込まれて、30人ぐらい殺害される事件がありました。ほかの場所ではだんだん少なくなってきましたが、ミンダナオに行くと、いくつかの政治的な名望家族がありまして、大体は私兵を持っているという状況がまだ続いております。
ラモン・ドゥラノという当時の当主に会ったときの印象では、一方では強面の非常に恐いボスなのですが、同時に国の制度としてではなくて、ドゥラノ氏の恩恵によって、このダナオ市はある意味での社会福祉が非常に行き届いていると。つまり、町の人間は、このドゥラノが全部面倒を見るという、フィリピンの名望家のプロフィールがよく感じられました。ですから、それこそゆりかごから墓場まで、お葬式でも何でも、ドゥラノが面倒を見てあげると。お金も貸してくれるということで、完ぺきにこの一家が牛耳るということが続いたわけです。