2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第2回 梶原先生 4月21日 3/8
家族の肖像
フィリピン社会とは、人間が生きている以上、どんな社会でも不確実なものとか、不確定なものというのがあることはあるのですが、不確定性が非常に強い社会、確実なものが少ない社会といえます。ですから、われわれが予測して、その通りに人間関係とか、社会関係が動いていくという要素が少ない。違った言い方をすれば、ドラマティックであるということになるかもしれません。そうしますと、この中で人間が生きていくためには、どこかでよりどころとか、この範囲であれば想像がつくというものがどうしても必要になる。それがフィリピンの場合は、家族です。ほかの社会でも、家族がよりどころになって、そこの範囲の間では相互信頼性が生まれるとか、あるいは信頼だけではなく、実際に相互扶助、助け合いが行われる一つの単位になるということはありますが、フィリピン社会ではこれが非常に強いわけです。ほかにあまり頼るものがないという意味で、家族の持っている意味というのは、われわれが現在の東京に住んでいて家族を考える以上に、意味合いが大きいわけです。
もちろん、いいことばかりではなくて、家族が持っている、拘束性とか、規定性というものも非常に強く働きます。ですから家族は仲はいいのですが、家族のメンバーであることによって、ほかのメンバーに対して非常に強い義務感が生じてきて、自分の身を捨てて家族に尽くすというのが一種のプレッシャーになることもあります。出稼ぎもある意味ではそうです。出稼ぎに行った人の残された家族を見ていますと、もちろん家族が離散するわけですから、非常に悲惨な場合もありますが、逆に出稼ぎに行った人の収入で、残された家族がマージャンばかりやっているというような家族もたくさん見かけました。
そういう意味も含めて、家族の中の関係というのは、よりどころとして安全な安らげる場所でありますが、家族の間の義務関係というか、ウタンというのですが、一種の義理とか、義務、日本語でいえば、そういう言葉が近いですが、これが強いわけです。

フィリピンの400家族という本があります。400が妥当なのか、200なのか、問題はありますが、依然としてフィリピンは、ある一門とか、家族とか、家系というものがさまざまな社会の領域で極めて大きな力を持っています。セブの歴史を語るのに、2軒だけではありませんが、オスメーニャとドゥラノのファミリーヒストリーをずっと見ていくと、そこにセブの政治経済的な力関係の歴史が浮かび上がっていくということであります。
もう一つ、フィリピンの家族をご紹介します。これはあまり政治的な家族ではありません。アヤラ一族がそれです。アヤラというのは、フィリピンの極めて大きい企業グループを支配している家族。マニラで一番ビジネス地区として発展したマカティという場所があって、ここは海外企業のフィリピン支店とか、あるいはフィリピンのサンミゲール・ビールとか、巨大企業の本社が立ち並んでいる場所です。このマカティという新ビジネスセンター一帯を開発したのが、このアヤラ家であります。アヤラという家はもともとはスペインの北のほう、フランスの国境に近いバスク地方出身です。バスク地方からフィリピンに19世紀に移住した一家です。たまたま、今、マカティとして、副都心として開発された、かなり広大な場所ですが、そこがアヤラ家が持っていた牧場だったわけです。そんな大した土地じゃない、草ぼうぼうだったでしょう。小さな飛行場があったりとか、戦前のマニラではまったくの田舎というか、都市の横にある草地のようなところだったのです。その一帯を全部、当時は二束三文だったでしょうが、アヤラ家が持っていました。ご存じのように、マニラは相当ひどい戦争の被害、空襲にあっておりますので、戦後、復興するときに、旧市街をそのまますぐ直してということではなくて、むしろ新しい場所にマニラの中心をシフトしていきました。1950年代から、このアヤラ家がマカティを開発して、今日では巨大なビジネスセンターとそれに隣接する高級住宅地の組み合わせという、日本でもなかなかないような新しい考え方、アメリカ流の都市開発だと思いますが、そういう場所になっております。