2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第2回 梶原先生 4月21日 6/8
家族の肖像
この家族で、私が感じましたことは、もちろん財産もあるし、王様の枢密顧問官、クライシーさんはそれもやっておりましたから、政界にも影響力があるし、経済的にも地方の財閥の領袖だったわけですが、アメリカで教育を受けた影響もあるのでしょうが、先ほどのフィリピンの家族が生々しく政治と経済の権力争いをしたところと比べますと、こちらのほうは、もちろん、それは鋭いビジネスマンですから、実際の商売ではどうやっていたかは分かりませんが、いわゆる社会貢献という概念を非常に早くから身につけていたように思います。わたしが会ったのは1970年代ですが、そのときに、例えばチェンマイの古い文化の保存であるとか、子ども本を無料で配るとか、そういう社会貢献活動というものを極めて早い時期から熱心にやっていました。もちろん中国系の人たちですから、お金を稼いでいるばかりではタイ人に恨まれるということもあって、一種の保険をかけるという知恵もあるのでしょうが、公のためにどう奉仕するかという活動を通じて、一つの家族というものを形づくっていった形跡があって、大変印象が深い一家でございました。
タイでは、家族というのはクロープクルアといいます。クロープというのは取り囲む、クルアというのはかまどとか、台所の火のことです。家族とは、一つのかまどを一緒に使う人たち、あるいは一つのかまどからでき上がった食べ物を分かち合って食べる人々ということになります。

最後に、また話が前に戻るようなことにもなります。いわゆる、自然にでき上がった家族、自然家族と言っていいのかもしれません。例えば婚姻によって、人と人とが結び付いて、そこに子どもが生まれてという家族に対して、より人工的なというか、意識して家族というシステムを使って、再生産の機構をわれわれがつくり上げる、そういう家族がございます。例えば、一番分かりやすいのは恐らく、養子だと思います。ご存じのように、日本の社会の中でも、よく代表的な例で言われるのは、大阪とか、名古屋の昔の商家です。商家では、例えば息子がいても、娘に婿を取って、商売を本当にできる人を探してきて、家を継がせていくということが伝統的によく行われて、今でもなくなったわけではありません。その場合に、長男のほうはなにか趣味人として生きるとか、お小遣いをもらって遊んでいればいいという、小説にも描かれたり、映画になったりもします。先代の中村鴈治郎が演じると、大変似合っているようなことがありました。養子の制度、こういうことをして、家族を作っていくということがかつての日本では階層に限りはあったかもしれませんが、盛んに行われていました。ところが、アメリカ社会では、養子が非常に大規模に頻繁に行われている。必ずしもアメリカ人の子どもを探してきてということではなくて、世界中から養子を連れてくるということが行われている。先日、アメリカで養子をめぐって事件がありました。ベラルーシだったか、ウクライナだったか、養子をとって、その養子がうまくアメリカの家族となじまないで、子どもを1人で送り返したんですね。そうしたら、ロシア政府が、アメリカにはもう養子は出さないと。つまり、アメリカで虐待されたんではないかということで話題になっていました。それに関連して、アメリカでは養子が、主に外国から来た養子がその家族とうまく行かない場合に、ある一定期間、訓練施設というか、養護施設というか、そういうところに子どもを引き取って、そして再適応する訓練をして、うまくいったら、また家族に戻すというシステムがあり、その模様が、ちょうどその事件があった、送り返された後ぐらいですが、CNNの特集でそういう報道をしていました。

ゼロではありませんが、里親とか、里子というのはありますが、日本でどうして外国から子どもを養子にするということがあまり起こらないのか。原因は分かるようで、よく分からないのです。例えば、人口学的にいって、これだけ子どもの数が減って、将来、社会を維持していく人口が確保できないのではないかと言われていますが、では政策的に養子を増やして、外国人を入れるとか、そういうことには決してなりません。どうして、アメリカ社会は移民の国だからと言ってしまえば簡単なのでしょうが、あれだけよその人が来ても平気。それに対して、日本社会はそうでない方もいらっしゃるかもしれませんが、あまりそういうことを考えないですね。私も子どもが2人ですが、もう2人ぐらい養子をしてもいいなと思ったことは、正直言うと、ありません。