2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第3回 宮脇先生 4月28日 5/10
モンゴルの家族1 歴史上の結婚関係と部族同盟
モンゴル帝国はじつは世界史にたいへん大きな役割を果たしたのに、評価が低いですよね。なぜかというと、自分たちで書いたものがないからです。移動して暮らしているから、物は持たない。牛車に乗せる家と暖かい洋服があればよかった。自分たちは金持ちなので、こんなに立派な帝国作ったと、わざわざ正当化する必要を感じなかったのよ。
文献を残したのは家来筋です。中国では、耶律楚材(やりつそざい)が「モンゴル人はバカで農地を全部草原にしようと言ったのを、私が止めたから虐殺を免れた」と、自分の意義を誇張して書いています。今のイランでも「モンゴル人は野蛮人だったけれども、支配されたわれわれは大ペルシア帝国の子孫で、ものすごく文化が高かったから、我慢してやったんだ」と書く。書き手は知識人だから、武力に負けて支配されても、文化は自分のほうが高かったんだ、と言いたい放題です。モンゴル人は読めないですから、何を書かれているか知りません。

モンゴル帝国を継承したロシア
ロシアでも、キリスト教の司祭が書きました。ギリシアからキリスト教が入ってキリル文字を使うようになっていたけど、まだロシア語の文法もちゃんとない時代。だから、変なロシア語なんです。しかも断片的な文献しかない。最近の日本人の研究で、ドイツ騎士団に勝ったからロシアの英雄と言われるアレクサンドル・ネフスキーは、モンゴル人にはペコペコしていたことがわかりました。自分の兄弟に勝つためにモンゴル人に貢ぎ物を持って行って、モンゴルからお姫様を嫁にもらって、それでようやく支配者になったらしい。モンゴル人は現地の支配には口出しせず、徴税だけしました。だから、じつはモンゴルとはうまくやって、モンゴルの軍事力を背景に税金を取って恨まれたようですよ。
もちろん今のロシア人は、おれたちは本来イタリアよりも早くルネッサンスが出来たはずなのに、モンゴルのせいで町が焼かれて遅れたと書くんですけど、ウクライナ人やフィンランド人は、ロシアに対抗心があるので、別の見方をします。ロシアはモンゴルが来たおかげで、今の中近東、イスラムの貿易圏に入って発展したのです。だって、スラブって奴隷(スレイブ)の語源ですからね。大帝国の一部になったおかげで蜜蝋や琥珀が売れて、イスラムの文化がロシアに入ったんです。
この写真はモスクワのクレムリンにあるキリスト教の寺院ですけど、このネギ坊主の尖塔はどうみたってイスラム風でしょ? もともとモスクワのツァーリ(皇帝)の奥さんもみんなチンギス・ハーン家のお姫様だったんです。東西に広がったモンゴル帝国は、西方ではイスラム文化を取り入れました。20世紀初めのロシアのオペラ、リムスキー・コルサコフの「金鶏(キンケイ)」に出てくるシェマハの女王の故郷はカスピ海ですが、天幕に住んでいます。ロシアの民族衣装の長いドレスは、トルコの民族衣装と似ていますが、トルコもモンゴル帝国の子孫なんですね。裾が長くてスリットの入ったドレスは、遊牧民の着る服です。馬に乗るときに邪魔にならず、寝るときは布団になり、草原でトイレするときに隠してくれる。