2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第3回 宮脇先生 4月28日 6/10
モンゴルの家族1 歴史上の結婚関係と部族同盟
ロシアのコサックは、キリスト教徒になった遊牧民です。ロシア正教は、じつはモンゴル帝国時代に発展しました。モンゴルは宗教には寛容でした。イスラム教も仏教もキリスト教も道教も自由です。遊牧民って意外と民主的なんですよ。「あいつ嫌いだ」と思えば夜逃げできるわけです。新しい人のところに行って「わたしを家来にしてください」と言える。農耕地帯の中国のほうが、よほど人権無視です。だって農民は耕した畑から逃れられないから、ちょっとくらいいじめても移動しないわけです。遊牧民はいじめると移動するので、君主も家来の得になるように考えなければいけない。
じゃあ、遊牧民にとって何が得かというと、隣の遊牧民と家畜争いをしたとき、公平に裁判してくれる人。それから、戦争が上手で必ず勝つ指導者。参加した人間の働きに合わせて納得いくように分け前を分配してくれる人に、また付いて行きたいと思う。
チンギス・ハーンは戦争が非常に上手だった。それから、負けた相手の家来も自分の部下にした。かえって自分の主君を裏切った人には「私を裏切る可能性だってあるから、そういうやつは嫌だ」と厳しく罰した。よい評判が立って、家来が雪だるま式に増えたのです。
もともと遊牧帝国というのは戦争をするために建てられる。集会に集まった部族長たちが、盟主を直接選んで作戦を立てる。このとき、例えば全員が家来の4割を平等に出すことを決めると、たくさん家来を持っている人が隊長になります。10人隊長が10人集まれば100人隊ができて、10人隊長のうちの1人が100人隊長になる。100人隊長が10人いれば1,000人隊ができて、その100人隊長の中の1人が1,000人隊長になるわけです。こうやって十進法で遊牧集団はそのまま軍事組織に転換できました。
分取り品を分けるときも計算が楽ですね。指揮者の権利として、チンギス・ハーンがまず2割取ります。残りの8割を、1,000人隊長が10人いたら、10等分します。それを持ち帰ると、1,000人隊長は10等分する前に、多分自分が2割取るんですよ。1,000人隊長の権利ね。それで残りを10等分したら100人隊長のところに来る。順番に一人残らず分配してもらえるわけ。これが遊牧帝国なんですね。
近代国家だと、国が武器や食料を用意して軍隊を持つわけですが、遊牧民にはどこかにお金があるわけじゃない。すべて手弁当です。自分の馬と乾燥食料を持って、自分で武器を用意するんです。その代わり後で返してもらえるわけ。で、死んじゃったら、その分は家族に分配されます。だから、戦争は彼らにとっては義務というよりは権利でした。モンゴル帝国が中央アジアに遠征したとき、最初10万だったのが、もうけ話だとわかって「おれたちも」という遊牧民が駆けつけて、ヨーロッパに着いたら倍になっていたという話です。遊牧民は1人につき馬5頭を乗り換えながら行きました。
もともと遊牧君主は、部族長たちの選挙で盟主に選ばれただけで、他の部族長の家来には何の権利もない。部族長同士の争いを裁いたり、戦争の指揮をしたりするだけなんです。だから、宗教に関しても、一つの部族、一つの国民扱いをしました。モンゴルの発展を祈ってくれればいい、モンゴルが発展すればあんたたちも発展するんだからと。だから、ロシア正教はモンゴル支配時代にすごく発展して寺院が増えたんです。
ロシアがモンゴルが悪いと言い出したのは18世紀です。それまでは、支配層にモンゴルの血が入っているから、あんまり悪口書いていないんです。近代になってヨーロッパを見習うことになったあとで、自分たちのアジアの血を遅れていると思って、歴史を書き換えたのです。じつはモンゴル帝国は今の中央ユーラシアすべての国に何らかの関係があるというのがこの系図です。