2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第3回 宮脇先生 4月28日 7/10
モンゴルの家族1 歴史上の結婚関係と部族同盟
チンギス・ハーンの子孫たち
系図の二重線は結婚関係で、女の名前はひらがなにしました。さきほどモンゴル人には書いたものはない、と言いましたが、系図だけはあるんです。モンゴルでは父方の祖先を10代くらい前まで空で言えるといいます。日本では、祖先を大切に思う人は、母方も父方も同じ程度に言えます。つまり日本は双系制なんですけど、遊牧民は父系制で、この考えがモンゴル支配時代に朝鮮半島に入りました。だから、朝鮮ではついこの間までは10何代前の祖先が同じだったら結婚できなかった。日本なんて「いとこ結婚は鴨の味」ですから、中国文明からすると、とんでもない野蛮人なんですよ。
モンゴルには「骨は父から、肉は母から」という言葉がある。「お前の骨は何だ」という聞き方をする。遊牧民は同じ姓同士は結婚しません。族外婚制といいますが、遊牧集団が同盟するには、相手の部族と互いに娘を交換するのがもっとも効率がいいからです。自分の部族内で結婚しては何にもならない。各部族が結婚関係を持って、その頂点にチンギス・ハーン家があったのがモンゴル帝国です。ペルシア語の同時代史料によると、チンギス・ハーンは奥さん500人いたとあります。つまり、モンゴル帝国の領土のすべての有力部族や被支配一族が、チンギス・ハーンと縁組みしたがったんです。結婚関係こそが遊牧民にとって一番大事な絆なんですね。でも、500人もらったチンギス・ハーンは困りますよね? それでどうなったかというと、実際には息子たち、家来たち、将軍たちの嫁になったわけです。また、チンギス・ハーン家のお姫さんがイランなどにお嫁に行くときは、何百人というモンゴルの遊牧民が家来として付いて行って、現地で結婚するでしょ。そうやって、全域に親戚が広がったんです。
モンゴル人が現地の人になったからといって、中国に行っても農業するのは下層階級ですよ。偉い人は支配階級になります。ロシアに行っても、イランに行っても、チンギス・ハーンの子孫はじつは貴族でした。ロシアのイワン雷帝だって、母方ではチンギス・ハーンの子孫です。ロシアを支配したチンギス家の子孫が内輪もめばかりして堕落したので、モスクワのツァーリ(皇帝)の家来になったモンゴル人が、ナポレオン戦争のときの近衛兵になって活躍したりします。だから、ソ連が崩壊したとき、南のウクライナは「モスクワなんか一皮むけばタタールだ」と言ったの。ロシア語のタタールはモンゴルのことです。「あんなやつらは後から来た野蛮人で、われわれこそが本当のルーシだ、だから分かれる」とね。でもウクライナだってもともとは遊牧地で、チンギス家の別の子孫の領地だったんですよ。
日本から見ると、モンゴルとトルコはまったく別の国でしょう。日本人は国ごとに区切ってすべて2国間関係で考えます。ところが、大陸は、土地はつながっているし、人間もつながっている。これがモンゴル史の大事なところだし、おもしろい部分なんです。
それで、系譜はたくさん残っているんですが、これはほんの一部です。チンギス・ハーンが10代のときに結婚した糟糠(そうこう)の妻のボルテが産んだ4人の息子だけが、今、子孫が知られています。もう1人、戦争にも従軍したクラン妃が息子を産んだんですけど、若くてロシアの戦争で死んだんです。井上靖の『蒼き狼』は、この息子を家来に渡してそれっきり行方不明になったというロマンティックな話にしていますが、違うんです。
結局、息子を産んだ奥さん2人しかいないので、500人の奥さんは絶対無理だと私は思うんですね。だって、チンギス・ハーンが君主になったのはもう50歳くらいなんですよ。女性たちは息子や孫や家来の奥さんになって、長男のジョチには奥さんが30人ぐらいいた。正式な奥さんが産んだ息子だけで14人。この子孫が、今のカザフとか、ロシアのカザン・タタールなどの君主になりました。ジョチの子どもの誰々の子どもの、誰々の子どもの誰々の子孫という系図を持っていたわけです。