2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第4回 宮脇先生 5月12日 2/11
モンゴルの家族2 遊牧生活から都市生活へ
内陸国モンゴルの苦労
ちょっと脱線しますが、北京から国境のエレンホトに鉄道で行くと、昔は8時間ぐらい待たされました。どうしてかというと、鉄道のゲージが違うんです。中国の鉄道の線路の幅が普通だとすると、モンゴル側に入るとシベリア鉄道と同じ広軌になるんですね。そうすると、台車を変えないと走れない。これはもちろん戦略的な意味があって、いきなり鉄道で乗り込まれないように、ソ連は一番広い幅の鉄道にしてありますので、ここで真冬の寒いとき8時間くらい外で待っていた。私は経験していませんが、友達から聞きました。
ソ連のペレストロイカ、グラスノスチに刺激されて、モンゴルの民主化も89年末から始まりました。複数政党が取り入れられ、ソ連が91年になくなったあと、92年にモンゴル人民共和国がモンゴル国になりました。このあと日本の海部首相が、西側首脳として始めてウランバートルに入って、大歓迎されました。このとき日本は衛星回線を1つ寄付し、インフラ整備を援助しました。ソ連がなくなった途端にドル決済とか言われて、石油や何かが入ってこないんですね。モンゴルでは零下50度の冬に暖房がないと死んでしまいますので、石炭が採れる場所から首都までの道路整備、石炭を首都に運んで来るためのガソリンの援助、それからエレンホトで列車を釣り上げて台車を交換するジャッキを寄付した。これで初めて2時間ぐらいの停車で列車が運行できるようになりました。
それでも、ここでコンテナがたまるんです。中国はモンゴルに対して嫌がらせをしまして、なかなか動かしてくれない。モンゴルの荷物を積んだコンテナは、列車で中国の港に持って行かなくては輸出できません。モンゴルの最大の弱点は港がないことなんです。だから、この間、朝青龍が北朝鮮に行って写真に映ったのも、北朝鮮の港を使う話を、モンゴルと北朝鮮が協議をしていたのではないかと思います。中国の港だけでは、そこを閉められたら身動きできないので、別の国の港も常時使えるようにという、そういう状態が、この地図をごらんいただければ一目瞭然だと思います。モンゴルは内陸国で、飛行機がなければどこにも行かれない。だからモンゴル人はみんな車の運転をします。

モンゴル草原の環境
車の運転手はモンゴルでは特権階級で、社会主義時代には高級取りでした。朝青龍のお父さんも車の運転手ですが、我々からしたら「何だ、ただの運ちゃんか」。ところが、草原にはガソリンスタンドもないし、誰かが走ってきてくれるわけでもないから、自分でメンテナンスができないといけない。車の整備や故障したときの修理まで、すべて自分でできないとドライバーにはなれません。だから高給取りで地位も高かったのです。日本の4倍の国土に人口267万。車がなければ物流が成り立ちません。
前回も申しましたが、年平均降水量が200~300ミリ。主として夏にしか雨は降らない。冬は雪は降らず、ただひたすら寒い。雪で困るのは大体春先です。春に雪が降ると凍ってしまい、草が見えているのに食べられないので、春先の動物の餓死が非常に多いんですね。乾燥していて草がまばらにしか生えないので、一カ所にとどまっていると家畜が草を食べ尽くしてしまう。それで昔から、来年も草が生えるように根っこを残して家畜を移動させるのが人間の役目なわけです。放っておくと、ずっと同じ場所で草を食べ尽くしてしまう。
日本のテレビでモンゴルが映ると、緑の草原を馬や羊が走っていますが、あれはやらせです。普通モンゴルでジープを走らせていると、動物はみんなボーっと立っている。それでは絵にならないので、人間がわざと追って走らせていると思います。