2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第4回 宮脇先生 5月12日 5/11
モンゴルの家族2 遊牧生活から都市生活へ
モンゴル力士はなぜ強いのか
前回言いましたように、羊とヤギは一緒に放牧できますけれども、馬と牛は別々です。それで、アイルごとに男手が少なくとも3人は必要なわけです。それでも2人一緒に動くなんてほとんどないということですね。人間一人に乗っている馬と、それから犬くらいしか一緒にいない。モンゴルの男は、非常に孤独な人生を過ごすわけです。少年は、10歳を越えると、自分だけで家畜を連れて放牧に出かけ、空を見て「あ、もうすぐ雨が降りそうだ」とか、狼の声が聞こえたから、羊をどこか別のところへ移動させなくてはなど、すべて自分一人で判断しなくてはいけない。そろそろ家へ帰る時間だとか、ここの草は悪いからあっちへ行くとか。小さいときに何が一番大変だったかというと、初めて一人で放牧に行ったとき、本当に心細くて、迷った羊を追いかけて連れ戻すと、ほかの羊が全部ばらばらになってしまっていて、どうしていいか分からなくて泣きそうになったというような回想が、どんな男の人の話にもあります。
モンゴルの男は小さいときから馬に乗れます。それで一人で出歩きます。だからモンゴル人は独立独歩が誇りで、人の真似をしたくない。人と同じなのが嫌いというのは何千年もの伝統なんです。お相撲とりに非常に向いていると思いません? だからモンゴル力士が強いのは、もちろん個人の努力の賜物ではあるけれども、このようなモンゴル文化が背景にある、というのが私の本の主張なんですね。他人が既に放牧した草原には草がないので、他人と同じことをしたり、人の真似をしたら生きていくことができない。だから、モンゴル文化には、取りあえず周りに合わせるという言葉はないんです。日本と全く正反対だと私は思います。

協調を重んじる日本人
日本文化の話をしますと、日本では「隣百姓」という言葉があります。要するに、百姓は隣の人と同じ事をしていれば、何も考えなくてもやっていける、という意味です。でも日本の農村では、本当にみんなと同じことをしなくては生活が成り立たなかったのです。田植えの季節になると、川から水を引いて田んぼに水を張らないと田植えができない。そうすると、山のふもとの家は、先に川沿いの家が田植えをしてくれなかったら、いつまでたっても水が来ない。だから「うちは来週する」なんて勝手は許されないわけですよね。
だから日本の村では、他人の田んぼも全員で田植えをしました。田植えをしてもらった家は食べ物や飲み物を用意して、川沿いから順番に苗を植えました。米作りは共同作業でないとできないので、日本人は協調を何よりも重んじる。「村八分」になったら本当に生きていけない。八分というのは、火事とお葬式のときだけは手伝うので、二分引くわけです。これが日本の伝統なので、都会生活をしている若い子でも「KY(空気読めない)」という。つまり、その場の空気を読めない人は、文化程度が低いということで排除するわけですね。
朝青龍問題も、「お前は横綱になったんだから、横綱らしく振る舞え」と日本人は言いましたが、「横綱らしいとは何ですか?」とモンゴル人は思う。だって、モンゴルではわけもわからず人の真似をするのは悪いことですからね。だから、外国人力士を入れたからには、日本の文化の中に別の要素も加えるべきだというのが私の意見なんですね。日本文化は素晴らしいですよ。お蔭でこんなに平和なよい国になった。けれども、日本に来たんだから「郷に入れば郷に従え」と言うだけで、日本人のようになるかといったら無理です。相手を納得させる説明責任はこちらにあるのでは、というのが私の本が言っていることです。