2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第4回 宮脇先生 5月12日 9/11
モンゴルの家族2 遊牧生活から都市生活へ
一番典型的なモンゴル料理はボーズと言います。包子という中国語から入った言葉ですけど、もともと餃子などは遊牧民の料理で、それが中国に入ったんです。お正月はどこの家でもボーズばかり食べます。つまり、冬には肉を食べて暮らすんですが、肉だけではおなかがいっぱいにはならないので、小麦や米などの穀物をどうしても輸入しないといけない。それが、昔から遊牧民が農耕地帯に攻めてきた理由です。

遊牧生活から都市生活へ
モンゴルの家族は、アイルという、季節ごとに一緒に遊牧する単位と、オボクという、祖先が同じ大きな集団の二つしかなくて、核家族という言葉がモンゴル語では見つからない。だけど今は、ウランバートルでは4LDKくらいのアパート生活をしています。モンゴルのアパートはロシア仕様で、大体80平米以上、100平米くらいあって広いんですよ。うらやましいくらいです。ウランバートルの人口は社会主義時代には60万人でしたが、民主化後どんどん増えて100万人を越しました。だから大問題なんです。
社会主義時代に、モンゴルはソ連のやり方に習って、家畜も全部国有にしました。日本の県ぐらいのサイズを一つの単位として、真ん中に町を一つ作って、お風呂と病院と図書館と学校を作って、何十人かの遊牧民に羊や馬の放牧を分担させて、全部を共同管理しました。でも、もともと遊牧民の習慣では、土地は天のもの、みんなのものだったから、割とうまくいったんです。じつはモンゴル人は社会主義は嫌いじゃなかったの。上手な人が放牧してくれるし、子どもをたくさん生んだお母さんは国から褒賞金をもらえるし、病院もただ、学校もただで、国家公務員は高給もらってた。
それでも、国に金がなくなって駄目になったんです。私の親友で日本語ペラペラの国立大学日本学科の教授は、かつて科学アカデミーで働く高級幹部だった。ほんとに頭がいいけど、ものすごくモンゴル的なの。高給取りだったけど、貯金が一銭もなかった。「チョコレートなんか、キロで買って職場のみんなと食べたし、親戚が結婚するときは高い家具を買ってあげた。別に貯めなきゃいけないなんて思っていなかったもの」。
彼女は一族の中の出世頭だったから、妹たちの学費も全部彼女が出した。そういう大家族制というのは、都市でも残っているわけです。偉い人がみんなの面倒をみる。チンギス・ハーン時代からそうだったんです。それで彼女が言うのに「国に、そんなにお金がなくなっているなんて思わなかった」。いきなり国が「お金がない」と言って、「あんたたち自分でやれ」と言われて、それで民主化後どうなったかというと、今住んでいるアパートは住人のものにする。家畜もみんなに分ける。日本が援助したカシミヤ工場とか、国立のミルク工場まで国民全員に分けたの。人口230万くらいだったから分けやすいわけですよ。だから子どもまでみんな、頭割りで、不動産はないけど国の財産を分けた。