2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第11回 土佐先生 6月30日 8/9
韓国の家族1 伝統と変化
朝鮮時代の身分制
そうした現象を理解するのに、一つ手がかりになるのが朝鮮時代です。朝鮮時代というのは14~19世紀の500年間続き、韓国社会にとって伝統的な部分の基礎となっている時代です。日本の江戸時代でも士農工商という身分制がありましたが、朝鮮の場合は似ていますけれどもかなり違う身分社会を作っていました。いわゆる支配階層は両班(ヤンバン)といわれる人たちでした。当時一番偉い人は何かというと役人でした。役人になるためには、科挙に合格して登用されないといけない。今の国家公務員試験みたいなものです。科挙を受験する資格として、両班でないといけなかった。逆に、科挙に何代も合格しないとその一家は両班の資格を剥奪されました。ここら辺は厳密に考えるとパラドクスのような話になるのですが、重要なのは、特権階級であり続けるためには自分たちの一族、あるいは祖先が両班であるということを証明しないといけないのですが、その大切な手段がこの族譜ですね。
それ以外の大多数の人たちは常民と賤民といわれる人たちでした。今の時代からみると、賤民や奴婢というと、何かすごい差別待遇を受けていたようですけれども、ほとんど全員が貧しい時代ですから、必ずしもそうではない。時代によって違いますけれども、3割とか4割が賤民で、常民もやはり3~4割でした。こうした人口比は実はかなり変動するものでして、両班というのは厳密には1割とか2割しかいないはずですが、朝鮮時代の末期のころになっていくと、両班がどんどん増えてくるんです。だから、これはニセの両班ももちろん含まれるということです。そして、日本の植民地支配が1910年に始まりますけれども、近代化改革にともなって19世紀末から20世紀初頭にかけて身分制は廃止されました。
しかし、意識としてはずっと残っていて、しかも解放後にはむしろ「国民総両班化」というようなことがいわれるようになりました。身分制がなくなることで、むしろみんなが自分は両班だと言い出すようになってきたというんですね。そのことと、族譜がどんどん増えて出版ブームが起きたことには深いつながりがあります。さらに、実は姓がこれだけ少ないということがすごく関係しています。日本は30万以上の氏があるといわれていますけれども、それも実は江戸時代までの日本人の大半は氏や苗字とか持っていなかったことの反映です。江戸時代までは、武士とか特別な階級だけに許されていたのを、明治時代になってから氏を名乗ることを許されて、人々が自由に氏を名乗った結果が種類の多さになりました。
韓国人の場合でも、常民だとか賤民というのはもともと姓を持ってなかった。そういう人びとが姓を持てるようになってどうなったかというと、むしろメジャーなほうにみんなどんどん集中する結果になりました。それが、金とか李とか朴とか、メジャーな姓がなぜそんなに多いか、なぜ姓の種類が少ないかという理由の一つです。特権階級というのは少ないから特権階級であって、こんなに誰もが模倣してしまったら特権階級ではなくなってしまうわけですが、そこが韓国的な特徴といえるかもしれません。