2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第12回 土佐先生 7月7日 1/10
韓国の家族2 離散と民族主義のはざまで
おはようございます。それでは、本日が最終回ということで、韓国の家族について続きの話をさせていただきます。前回は主に韓国の家族の伝統的な側面についてお話いたしましたが、そういうものが近代化ないし現代化の中でどう揺れ動いているのか、どう変化しつつあるのかということについてお話いたします。

近代化と韓国の家族制度
まず近代化といいますが、大きく分けて3つぐらいの歴史的な段階がありました。1番目は、韓国・朝鮮の近代化はいつ始まったのかについていろいろ議論がありますけれども、やはり、これは日本による植民地支配の時代に本格化したと見る必要があります。必ずしも日本による一方的な改革だけでなく、併合と前後して様々な自主改革の試みもありました。たとえば、明治維新のときに日本で身分制が廃止されたように、19世紀末に朝鮮でも身分制が廃止されました。それに伴って家族制度も変化せざるを得なかった。もう一つは単純に近代化と要約できるかどうか難しいところですけれども、明治日本はイエ制度というものを確立していきまして、それまで要するに日本人の大多数も氏を持っていなかったわけですけれども、そういうものを名乗らせて戸籍やイエ制度というものを作っていきます。それと似たようなことを植民地朝鮮でも実施しようとしました。
2番目は解放後のことですけれども、そうやって植民地時代に押しつけられた近代化というものが、あるゆがんだ形で受け継がれていくわけですね。それは一言でいいますと、開発独裁体制といわれるものでした。一方では、政府主導の経済成長というものを華々しく遂げるわけですけれども、ある種の総動員体制といいますか、家族というものを国家が発展していくときの一つの細胞と見なし、後でお話しします家父長制を強化していく。  3番目に、そういう体制が1980年代、90年代あたりから民主化やフェミニズム運動の盛り上がりから批判の対象となり、「伝統的な」家族のあり方に疑問が突き付けられていきました。大きくいうとこういう3段階の歴史的変動がありました。

創氏改名の意味
まず1番目の変化ですが、植民地時代に何が起きたかというのは非常に複雑な問題ですので、1つの事例だけに絞ることにします。創氏改名という言葉はお聞きになったことがあるでしょうか。韓国では今でもさかんに語られます。自分たちの姓が奪われたという風に、植民地支配の不当性を代表する事例としてです。しかし、実際何が起きたかということは、実は韓国でもあまりきちんと知られていないのです。ごく単純化してお話しますけれども、創氏改名と言われるものは一体何だったのかといいますと、具体的には1939年に民事令の改正で行われた「氏に関する規定」という部分を指すのですけれども、「創氏改名」という法律があったわけではありません。この表現自体がよく示しているのですが、氏をつくるというのがポイントです。改名の部分は、実はほとんど注目されていませんし、当時もあまり意味はなかった。問題の比重は圧倒的に創氏のほうにあります。その意味というのは、韓国には姓はあるけれど氏はないというお話を前回しましたが、氏というのはイエの記号ですね。姓というのは父系血統を指す。それで、姓というのは結婚しても変わらないということを申し上げました。それが韓国の家族制度の基本です。同じ家に3世代が住んでいる場合、3種類の姓が同居するということもお話ししました。それに対して日本の家というのは、同じ氏に統一される。これが氏というものですね。この氏というのは朝鮮になかったものです。なかったものをつくるので創氏といいます。別に姓をなくすということではない。ただし、受け止められ方として、そういう受けとめられ方をしたということです。