2010年度 世田谷市民大学 連続講義


「アジアの家族」

第12回 土佐先生 7月7日 4/10
韓国の家族2 離散と民族主義のはざまで
この人は別格ですが、これ以外にも戦争はたくさんの英雄を生みだします。族譜の記録に残るような一族の誉れというものは、こうした大きな戦争で生まれるわけです。この戦いのあと、族譜がたくさん出てきたというのは、偶然ではありません。そういう中で、その前までは本当に一握りのエリートの一族だけの私的記録であった族譜がだんだん広がっていくわけです。祖先の活躍が、族譜の中に一族の記録として残るだけではなくて、国家の公式の文書、あるいは物語としても語り継がれていく。そして、英雄の霊廟(れいびょう)が、地元の田舎にもある。そうすると、今から300年以上前の祖先の物語が、今でも身近なものとして語られ続けるということです。これは日本人の歴史意識にはないものですよね。日本の場合は三代、四代以上前の祖先というのは基本的に非人格的な「祖先」として一くくりにされてしまいます。ひいおじいさんの個人名が言える人というのは日本の場合はほとんどいないですね。
ところが韓国では、300年前の祖先が個人名と共に戦歴とかが一族の記録として残っているわけです。それが同時に国家の物語としてもつながっていく。そうすると、ここには儒教的な国家観といいますか、家族の物語が国家の物語にスッとそのままつながっていく構造が見える。それを族譜が支えているということです。
先ほどの映画の例にもそれははっきり出ていまして、結局家族と国家が非常に近い距離にあって、国家が危ないときには家族を動員して当たり前となる。日本の戦前もまた、似たような総動員体制を作るために儒教的な教育を強化しました。それは日本の歴史から見ると特別な時期でしたし、もともと儒教の本家から見ると日本なんていうのは実にいいかげんな社会でした。ですが、明治政府が近代化を遂げていって、家族を国家の礎として積極的に利用するときに儒教を再強化していくわけですよね。儒教にはもともとそういう特徴があるということです。

家父長制
そうした体制を、家父長制とも呼びます。家父長制とは、「家長権、家族を支配する権力を持つ男子が家族員を統制・支配する家族形態。一般に長男が家産と家族に対する統率権を世襲的に継承し、祖先祭祀(さいし)の主祭者となる。その統率権は絶対的な権威として表れ、家族には人格的に恭順・服従する」ということです。これが社会学の中で使われている家父長制の定義です。
日本でも、主に戦前の家族制度を念頭に置いてのことでしょうが、家父長制を克服しなければいけないといった言い方がなされますけども、日本に本当に家父長制なんてあるのかどうかというのはかなり怪しいと思います。日本の家族というのは、伝統的にはどちらかというと女性がかなり強い権力を持っていたということも知られていますし、皆さんもそう言われると思い当たるふしもかなりあるのではないでしょうか。しかし、少なくとも日本でも一時期、明治維新から太平洋戦争に至るまでの時期はそういうものが強化されたことは間違いありません。ただし、戦後になってむしろ先祖返りというか、先週もお話ししたようなサザエさん的な家族像に戻っているのかもしれません。波平は家長として一見威張っているようではありますけれども、必ずしも一家を支配しているわけではないというのが日本的な家族です。中心は、だからサザエさんなわけですよね。
韓国の場合は、この家父長制の定義がかなり当てはまる社会です。伝統的にもそうですし、解放後の開発独裁体制というものが絡み合っていって、そういう側面がさらに強化されていったのも確かです。しかし、1980年代、90年代あたりからフェミニズム運動の活発な展開を通して、そうした韓国の家族制度が大きく揺れ動いています。